娯楽の極み

ビバリウムの娯楽の極みのネタバレレビュー・内容・結末

ビバリウム(2019年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

退屈な映画。何故退屈かというと、「退屈」を演出として織り込んでいるため。

作品の全体通して不気味さ、不可解さは常につきまとっているけど、なにより印象的なのはたどり着いた環境に一切の娯楽がないこと。描かれる場面のひとつひとつに遊びがなく、感動がない。残り少ないバッテリーでかけたカーオーディオの音楽がどれだけ彼らにとって特別なものだったのか。自分がこうなったとしたらどうするだろう、と主人公たちの体験を強制的に追体験させられる。

どうやら労働者階級と資本家階級の違いを一軒家の中でのやりとりに落とし込んだとするとこうなるらしい。親=労働者(ジェマとトム)は子供=資本家(名前はない)のためにせっせと働くが、いざ労働者が倒れても資本家は手を差し伸べない。労働者がいなくなれば(死を含めて)、資本家はまた別の労働者を探すだけなのだ。

最後までマーティンの正体は明かされず終幕。成長が早いからジェマたちを連れてきたマーティンは老いて虫の息。成長してマーティンになりかわった子供は、また別の労働者を探す。