sanbon

まともじゃないのは君も一緒のsanbonのレビュー・感想・評価

4.0
"普通"が"普通"じゃなくなった世の中で。

今作は、コミュニケーション能力の欠けた予備校講師と、知識だけは一丁前な女子高生が、"普通の愛"を求めて奔走するラブコメディである。

こういう、"テーマ性"を孕んだコメディ作品というのは、キャラクター同士の"掛け合いの巧さ"が大変重要な要素となる為、"脚本の出来"と"演者の技量"に極端に依存してしまうのが一つの特徴となってくるのだが、その点に関して今作は非常に秀逸なクオリティであったと言える。

まず、脚本の内容について敢えて悪い点から述べさせてもらうと、90分弱の上映時間に対してストーリーがやや駆け足気味で展開していってしまう為、感情の移り変わりに少し突飛な印象を感じてしまう部分が多く、これは恋愛という"人の心"を題材にした作品においては明確にマイナス査定となってしまうのだが、ただしその分テンポ自体は相対的に良くはなっていたので、そちらを最優先にしたのだと仮定すれば、納得のいく"取捨選択"であったと好意的には捉えられる。

というのも、今作はテンポの良さに重きを置いている事がちゃんと実感として持てるように、台詞回しの部分に"ある仕掛け"が施されているからだ。

まず、今作が描いた内容というのは、極端な事を言えば物事の"真理"に触れた非常に難しい題材と言える。

予備校講師の「康臣」は数学博士を志していた経緯を持つ事から、物事が持つ"正解"を追求する癖がある。

そして、今作でいう正解とはすなわち"普通とはなにか"という"哲学的難題"となっている為、少し…いやだいぶ小難しい話に本来ならばなってしまう筈なのだ。

しかし、今作はそんな難しくなってしまいがちな会話の中に"オウム返し"をしつこいくらい織り交ぜる事によって、その匂いを消しつつ軽快なテンポを生み出している。

この、頭を使わなくても勝手に耳から入ってくる"どうでもいい"掛け合いを利用する事により、小気味いいラップのようなリズムを、韻を踏むように刻みながら、意図的に"情報量の整備"が行われているのだ。

そして、これが創作物の強みでもあるのだが、大前提としてどんな物語にも"普通なキャラクター"など唯の一人として登場はしない。

当たり前だが、物語とは"日常から逸脱"した非日常を描くからこそ面白いものであり、それを演出する登場人物は決まって"異端"な存在でなくては物語など始まりようがないのだから、その性質上根本的な話として、まともな奴などいる訳がないのだ。

つまり、そもそもが"変態性"を備えたキャラクター、要するに"まともじゃない"者同士だからこそ、今作の取り上げた題材というのはようやく踏み込んでいけるようなものだったのだが、更にここにも秀でた仕掛けは存在している。

それは、その変態性に"性的なニュアンス"を一切含めなかった点である。

今作の康臣というキャラクターは、いくら「成田凌」が色男だろうと"イケメン無罪"がまかり通るには些か気持ちが悪い性格をしている。

しかし、それでもギリギリ気持ち悪くならない理由は、視聴者に最後まで"可愛い"と思わせきった事にあるだろう。

巷には「ぬいぐるみペニスショック」という言葉があるようで、恋愛対象ではない異性から突然好意を寄せられると、まるでぬいぐるみから唐突にペニスが生えてきたような嫌悪感を抱く方が世の中には居るのだという。

この事実は、世の健全たる男性諸氏には多大なる絶望を与えるものであるが、要するに康臣に好感が持てたのは、康臣は恋愛の先に性的な目的ではなく純粋な心を求めていたからに他ならない。

そして、善良でまともそうな素振りで登場した「宮本」にはおもいっきり逆の仕掛けを施し視聴者をどん引かせる事で、康臣の"ピュアさ"をより際立たせて、性に対する無欲を"正当化"してしまうよう仕向けている。

この仕掛けがあったからこそ、どう考えても変態な男は最終的には素敵な男性へと変貌を遂げるに至り、知識に極端な偏りがあり、あまりにも無知な非常識人だった男は、何故だか無垢な聖人君子のようにも見えてくる程であった。

しかし、そんなピュアさもまた現実的にはまともではない。

生物学上そんな人間が実際にいたのなら、それは遺伝子的欠陥であり、それこそ"異常者"の特徴になってしまうからである。

でも、例え生粋のピュアでなくても、異性の前で自分の本心など本来ひた隠しにしているのが"当たり前"。

なにせ、とある哲学者曰く「我々はきびしい自己放棄によって自身の4分の3を棄てねばならない」からである。

なのに、その結果がぬいぐるみにペニスだとするならば、それはあまりに不条理だと思う。

という訳で、そんなピュアさもある意味でいえば変態性を前面に押し出せる創作物だからこそ成せる技なのであるが、そんな"平凡"を多くの人間が演じ抜いている世の中でも、世界は多様性に向けて半ば無作為に"見識の拡充"を絶えず押し進めている。

今や、異性愛も同性愛も対物性愛も無性愛ですら画一的な存在として定義され、男性らしさや女性らしさという区別に違和感を覚える「トランスヴェスタイト」や、性が定まっていない「Xジェンダー」まである世の中で、もはや"普通"は"普通"ではなくなってきている。

人間自体は何ひとつ変わっていないのに、"普通という意味"だけがこんなにも早く時代と共に変わっていっているのは正直少し異常な気もするが、それがこれからの人類には必要な事ならば致し方のない変化なのかもしれない。

そして、そんな世の中で普通やまともに焦点を当てた今作は、もしかしたら人知れず結構な挑戦をしていたのかもしれないが、そんな答えの出ない問いに対して視聴者をイラつかせない絶妙なラインを維持しつつ、変人を真っ向から演じきっていた成田凌と「清原果耶」には流石としか言いようがないし、ウィットに富んだ会話劇は下衆さとピュアさの対比も非常にいい塩梅で、これぞ正に脚本と演技がしっかりと噛み合った秀作と言っていいだろう。
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