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ペルシャン・レッスン 戦場の教室のlololoのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

終わってからの余韻が凄まじい。なんという名作。

「生き残るためにペルシャ人を名乗って出鱈目なペルシャ語を創作するジル」と、「戦争が終わったらテヘランへ行ってレストランをやりたい元貧乏人の料理人・コッホ大尉」という二人のコンビの距離感が、最後までほとんど縮まらないのがリアルだった。
力を持つ方がどれだけ心を開いても、一方に生殺与奪の権を握られている関係は決して友情ではない。捕虜であるジルがコッホ大尉の名前を呼んだのも、大尉のためにという感じで……。でも、これが戦争の現実なんだろうと(それでもだいぶマイルドだと思うけれど)。

それでも、コッホ大尉が生真面目に出鱈目なペルシャ語を練習しているところとか、その言語で自分の身の上話をする場面は胸打たれた。彼がしたためた詩が平和を願うもので、とても穏やかで美しいものだったから余計に。コッホ大尉が、「缶詰をかけてお前を守ると約束しただろ」と言ってジルを死の行進から逃がした場面では、まるで彼が善人のようにさえ見えた。
空港で、一生懸命覚えた出鱈目な言葉を涙目になりながら話したところは切なかった。同時に、ジルへの信頼が感じられて大尉の純粋な人柄を垣間見てしまった。あの人、本当は悪い人じゃなかったのかもしれないと、見ているこちらが大尉に気を許してしまいそうになった。
空港の場面を見るまでは、きっと大尉はテヘランで言葉が通じなくても戸惑いながら「あいつ騙したな」なんて笑ったんだろうなあなんて思っていたけれど。そんな呑気な時代ではなく、彼らがしてきたことは許されないのだと、空港で暴れるコッホ大尉の姿で思い知らされた。
コッホ大尉みたいに、“貧乏だった時にナチ党員が楽しそうにしているのを見て”みたいな短絡的な理由で、悪事に加担してしまった人はきっと多かったんだろう。自分は大丈夫だ、許される、なんて心のどこかで思っていた党員もきっと多かったんだろう。
“戦争でドイツ軍がやったことは最悪なことだけど、所属する個々人には個々人の感情や事情があった”というのは本当のことだろう。“ただ、だからと言って彼らは許されるべき存在ではない”とう映画の姿勢を感じた。微笑ましい感情を持つことを決して許さない映画だ……と。

冒頭の、収容所について(多分イギリス軍に?)聴取されるジルが「名簿はナチスが焼いた」と聞かされる場面が物語の終わりに繋がっていたの鳥肌立った。デタラメなペルシャ語を作る時に捕虜の名前を参考にしていたから、2840人分の名前を暗記していた……という作りがなんかもう胸が苦しくなる。
その人数(=単語数)が示すものは、ジルと大尉が過ごした時間でもあり、捕虜たちの命の数だった……。捕虜とドイツ軍人、両方とジルが過ごした時間だったんだなと思うと、物語の作りが実に見事で唸ってしまうし、もう苦しくて苦しくて仕方がない。名前を一人一人挙げていきながら涙ぐむジルと、それに気付いて周りの人が黙って聞き入る描写に納得が行った。私も、同じ気持ちでジルの声に聞き入ってしまった。
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