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Swallow/スワロウの海のレビュー・感想・評価

Swallow/スワロウ(2019年製作の映画)
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ひとが、知らず知らずとらわれてきた呪縛から解放されることの、それを望み動くことの、苦しみと痛みと恐ろしさと、見捨てなければいけない莫大な時間と能力と労力を、ひしひしと思い知った。誰かと話していて、時々感じる、自分の、たぶん相手の理解には及ばない、独特な自衛の仕方、相手の、もっと違う方法を取ればいいのにと思うような、独特な面倒の避け方。誰かが、何かが、そのひとにそれを選ばせている。無意識に逃げる。選んだ先じゃなく、逃げた先に居るわたしは確かに居て、その感覚は他人に気軽に話せるものでもなければ笑って誤魔化せるものでもないから取り繕い、理由を後付けして、それでもって、あたらしく演じる。誰かのたった一言が呪いになって、それに誘発された、たった一度の躊躇で、本当に長い時間、自分を縛り付ける。そこにつけ込む人は、たぶん山ほどいる、あふれている。一人では生きられないだろう、おまえは子供だから、弱いから、繊細だから。傷つきやすいから。守ってやるから言うことを聞け。愛していてやるから自我を捨てろ。そうかもしれない、自分はひとりでは、何もできないような人間なのかもしれない、けれどずっとひとりで生きてきたじゃないかともまた思う。いったい誰に、わたしの心と体を支配する権利があるというのだろうか。きっと誰にもない。わたしが誰のものでもないように、あなたも誰のものでもない。子供は親の物ではないし、妻は夫の物でもない、わたしに宿るいのちも、神様の物ではない。自分のものだ。わたしを支配できるのはわたしだけだ。唯一出てきた彼女の血縁関係にある人物と、最後の選択は、この映画がテンプレートから逸脱していることを物語った。良し悪しじゃなく、ただこれだけで、わたしとしては本当に十分だったのだ。一時間半で終わる、わかりやすい脱走劇なんかじゃなかった、複雑で、一生涯つづいていく、そのひとにしか知り得ない自身と向き合う時間のその始まりの話だった。彼女には、よくある青春もののような、すばらしい友人も、大好きな恋人も、帰れる家も、頼みにする愛着も、その時代を過ぎ去った大人が羨むような自由な夢も、きっと無かったけれどこの映画は、自分を見つけ出そうとするひとりの少女の物語だと思った。
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