【モノとのつきあい方】
私はモノを整理するのが好きである。
いや、むしろモノを捨てて、広いスペースが生まれることに悦びを感じてさえいる。
このように、必要最低限のものを精査して、それらのみを身辺に置き、物質的に出来るだけシンプルに生きようとする人々のことをミニマリストと呼ぶらしい。
しかし、実は私は断捨離やミニマリストというものにはあまり興味はない。
私がモノを溜め込むという行為に意味を見出だせなくなったのは、東日本大震災を経験したことによるものである。
確かに、当時、私と似たような考え方がメディアでもてはやされていたことに対し、少し我が意を得たりという気持ちが無かったわけではないが。
ところで、我々の周囲には様々なモノが存在している。
それらの中には、勿論あなたや私にとって、どうでもいいものが大部分であろう。
しかし、中には、私自身が思い入れがあるものもあるだろうし、誰か大切な人の思いや思い出が込められているものもあるだろう。
そう考えると、今までただのモノであったものが、途端にかけがえの無いものに見えてくる。
だから、モノを捨てられない人や、ついついアルバムなんかをめくって、片付けの手を止めてしまう人は、もしかしたら普通以上に情に厚い人なのかも知れない。
一方で、モノに当初込められた思いは、今は私の中にある。或いは、想い出は、結局のところそれを知る者の内にのみ存在するという考え方もあるだろう。
これは人それぞれの感性の問題で、多分正解は無い。
しかし、いづれにしても、モノに宿った「何か」を己の中で昇華するという行為が人には必要なのかも知れない。
少なくとも、人生を先に進めていくためには。
かつて、ただ闇雲に、モノに埋もれることが豊かさの象徴であった。しかし、我々は、そろそろ人とモノとのつきあい方を再考すべき時期に来ているのかも知れない。
タイ映画はあまり観たことも無かったが、とても現代的で興味深いテーマの作品であった。