つかれぐま

パラサイト 半地下の家族 (モノクロVer.)のつかれぐまのレビュー・感想・評価

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白と黒、
越えられない線はない。

本作が描く格差は貧富だけじゃない。キーワード「臭い」に込められた真意が、うかがい知れるモノクロ版。

ポンジュノのベスト版とでも言おうか、
犯罪「殺人の追憶」
父親「グエムル」
母親「母なる証明」
格差「スノーピアサー」
環境「オグジャ」
こうした過去作のテーマを全て盛り込んだ、一人の監督の到達点の作品だ。更に本作は「オクジャ」まではなかった、次世代=子供たち側からの視点も加えて、より深みが増した味わい。

パク社長が気にした「臭い」。
これが最後のカタストロフの原因にもなるのだが、私は作中のキム家やグンセの「臭い」を感じることはなかった。「映画だからそりゃ無理だよ」と思う方は「グエムル」を観て欲しい。あの作品は全編に「河川の生臭さ」が漂う、私が観た中で最も臭い作品だった。そういう演出がむしろ得意なはずの監督なのだが・・。

ポン・ジュノはあえて「臭い」を感じさせる演出を避けたのではないか。それが私の仮説だ。そんなもので人を差別するのはおかしいというテーマをより明確にするために。パク家の男性(社長と息子)がそこを気にして、女性(妻と娘)は気づかないというのも意味深だ。妻の方は社長に言われてようやく気付くが、娘は最後までそんなことを気にはしない。そこに一縷の希望があって良かった。

今回のモノクロ版で、更にその「無臭感」が増している。パク家もキム家も同じ色になって、両家の隔たりが薄くなったようにすら見える。

「スノーピアサー」「オグジャ」をハリウッドという白人社会で撮ったポン・ジュノ。アジア人である彼が、そこで感じた清濁の経験を、パク家の描写に活かさないはずはない。

パク家=アメリカ=白人社会。
そう定義すれば、社長が差別した「臭い」は「肌の色」ということになる。そんなもので人を差別するなという強烈なメッセージ。そしてギウを愛した娘ダヘに込められた希望。

「白と黒、越えられない線はない」

モノクロ版に使われたコピーだが、これが監督の意思であるのなら、つまりはこんなことの暗喩なんだろうな。

人の心に<寄生>する差別意識。
それもまた「パラサイト」の意味するところではないだろうか。