写真家でもあるアニエスヴァルダが過去に撮った写真について考察していく映画
撮った時の状況や写っている人々のその時の状況から始めて、撮った時の社会状況、被写体の子供の名前がユリシーズってことから神話に紐づけてっていう形で複数の読み解きが行われるけど、被写体の子供はその写真を覚えてないし、アニエスヴァルダはその写真撮った時テレビなくて社会状況を全く知らないし、ユリシーズは神話ではなく小説から名付けられたことがわかる
写真の画面自体はそもそもそういうあらゆる背景から独立であるけど、それには社会的な色々な物が紐づけることができる、けどそれはその当時紐づいたものではなく、今振り返っての視点からしか紐づけることができない的な話だと把握した