裁判というものは、
積み上げた事実によって真実を判断するものであって、
積み上げるパーツが仮説であってはならない。
どんなに真実に近いように見えても、
仮説は仮説に過ぎないのだ。
「今のお前の眼は、憎しみに満ちた眼だ!」
誰かが有罪なのだとしたら、
それは有罪たる「証拠」が有罪にするのであって、
「仮説」で誰かの罪を問おうなんて、
そんな思い上がりはない。
それは正義ではなく、
憎しみなんだよな。
って、
案外誰も気付いてないから、
モレッティの言葉がめちゃめちゃ刺さるな。
どう考えても、あいつが犯人だ!
なんて、
どう考えるも自由だけど、
「考え」が人の自由や尊厳や、時には生命さえ毀損する。
「事実」以外にそんな権利はない。
ないんだな。
省みよう。