レオピン

孤独の人のレオピンのレビュー・感想・評価

孤独の人(1957年製作の映画)
4.0
ただ遠乗りするだけの自由も殿下には許されないんですか?

皇室というものを考えるきっかけになる作品

吉彦(津川)は侍従の前で泣いて訴える。映画の終盤で、今度はバンカラの岩瀬(小林)が銀座へ連れ出して帰ってきたところで、教務主任の前で同じように泣き崩れる。殿下にただ人間らしい生活を体験させてやりたいという青年の一途な想い。

『レベッカ』では画面は不在という存在に圧倒されたが、こちらは白手袋や顔の見えない姿が貴人の空気を伝える。女子生徒の写真を目にした時の、クラス会議で恋愛が議題に上った時の固く握った手。彼は周りから凄まじく隔絶されていた。

皇族だっておならもすれば、下ネタに笑ったりもする。これほどまでに人権を悉く奪われている存在が許されてよいのか。だが一方でこの考えは、戦争に敗れた新時代の雰囲気に飲まれすぎているような気もする。これに寄りそい過ぎるのは甘い気もする。
国学に始まり、水戸から長州へと激震のきっかけとなった尊皇思想。日本史ではこういうものが出てくると、かなりやっかいだもの。抑圧だからといって、もし後醍醐や後鳥羽のようなのがSNSをやり始めたとしたら・・・ 

彼らの殿下のためを思ってという空回りは226の青年将校にも近い。帝は幼い時から帝王学を授けられる。血気に逸った同級生たちが不用な心配などしなくてもよい、最後はそう大夫に諫められた。大体色々と悪い遊びを覚えて、もしマリネラの殿下みたいになったらどうするんだ 笑

と、ここまで考えたうえで、しかし2016年夏のあのビデオメッセージを振り返ると中々感慨深い。少しずつだが変わってきているのか。


原作では、学生同士の同性愛も赤裸々に描かれている。吉彦と岩瀬は後輩(の男子)を取り合った仲だという。戦国時代の武将か梨園のような光景がこの時代の学習院に残っていたのだ。

長らく、日本社会において菊・菱・鶴は三大タブーみたいなことをよく言われていたが、この小説はまさにこのタブーの領域に踏み込んだ。それをわずか23歳で発表した男、実はその男はもう一つのタブーとつながっている。

彼は学習院に学び、皇太子殿下のご学友となり新聞記者になる。結婚して妻もいたが、ある時、四谷にあったというバー「スポット」で年上の女と出会う。彼女の名はメリー喜多川。劇中では吉彦の年上の恋人で月丘夢路が妖艶な雰囲気を振りまいていたが、似たようなことがあったのかもしれない。

このメリーの後の思想行動に夫が影響を及ぼしたのではないか。慎太郎もそうだが、この藤島泰輔という人は恵まれすぎている。長者番付に何度も登場しているような人物で挫折がない。そして経歴をざっと見ただけでも分かることがある。徹底して大衆を侮蔑している。憎んでいるといっていい。

彼は事務所の発展期に大きな力を貸したと推測されるが、もっと核心にこの人物がいたのではないか。ジャニーのセクハラ メリーのパワハラといわれた帝国の成長にこの人物が大きく加わっていたからこそあれだけの成功を収めたのではないか。

こちらのタブーは剝がれつつある。これから明るみになるのを期待したい。
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