原作漫画を知ってからというもの、何故か「ラミネート」を思い出そうとすると「トレパネーション」が真っ先に思い浮かぶ呪いにかかって早十数年。
仕事柄、表示物などをラミネート加工する機会が度々あるのだが、どうしてもラミネートという単語が出てこない時は、一か八か「トレパネーションする機械ってどこにありましたっけ?」というサイコパスな質問をぶつけてみるのだが、大抵の大人は漫画なんてあんまり読まないし、ましてや「ホムンクルス」を読んだ事がある人なんて全然周りにいないもんだから、結局そのチャレンジが成功した事は未だに無い。
というか、そもそも相手がホムンクルスを知ってるかどうかは全く関係ないし、仮にそれで本当にトレパネーション出来る機械とやらが出てきたらそれはそれで怖いのだが。
ちなみに、トレパネーションとは「穿頭術」という古代インカや中世ヨーロッパにおいて、頭痛や精神病の治療を目的に行われた手術の類いであり、頭骨内にあるとされた"霊的に"良くないものを頭蓋に穴を開けて体外に出す事で、脳を永続的に覚醒状態にする手段として用いられていたという。
しかし、その根拠は極めて不明瞭であり、効果に関しても"肉体改造"を実施した事に対する"高揚感"による、アドレナリンの大量分泌が原因ではないかという説もあり、この非科学的かつ神秘主義的な行いは、そのオカルト感からフィクション作品では度々超能力を獲得する手段として結びつけられ、有名どころでは「ジョジョの奇妙な冒険」の「石仮面」なんかも、実はこの穿頭がモチーフとなっていたりする。
そして、肝心の今作の出来はどうだったのかというと、期待していなかった分思いのほか楽しめた印象であった。
というより、そもそもの原作漫画自体が見切り発車感満載の行き当たりばったりな内容で、設定や発想の面白さこそあれど、それがしっかりとストーリーに落とし込めていたかと言われると非常に微妙な作品と言わざるを得ず、そんな根本的な部分で既にあまり面白くもないものが、今回実写化されたからといってそれ以上にもそれ以下にもなりようがないというのがその実と言ったところだろう。
ただし、そんな中でも出演者に関しては名采配と言っても良く、主役である「綾野剛」はビジュアルからして「名越」そのものであったし「伊藤」役の「成田凌」も原作からの雰囲気を踏襲しつつ、映画オリジナルのビジュアルを確立出来ており、これらのキャスト陣の好演のおかげで劇場用作品という体裁は最低限守られていたと感じた。
その上で、今作はトレパネーション手術の演出や描写には目を惹くものがあり、演じた綾野剛の表現力も相まってか、まるでドリルで頭に穴を開けられている感覚が実際に伝わってくるかのような、非常に気味の悪いシーンが出来上がっていた。
この、冒頭から序盤にかけてのミステリアスで不気味な映像表現は、それ以降の期待感を大いに掻き立ててくれるクオリティとなっているのだが、そこから先は残念ながら難解かつ意味不明で抽象的すぎる内容に終始してしまう。
だが、それは元々原作がそうだからという点で、今作の脚本が要らぬ改悪を施した結果ではなかった為、この映画に対してのマイナス査定には特別ならなかった。
それと同時に、今作オリジナルのラストに関しても、原作の最後が微妙だった事もあり特に引っかかりは感じなかった。
とはいえ、脚色した部分がなにやら伏線回収系のサスペンスミステリを目指して、盛大に空振った感満載なオチであったのは、若干薄ら寒く感じてしまうところであったが、それでも分かりやすくしていた分、理解が難しい結末にして高尚ぶってお茶を濁した原作に比べればまだ潔さはあったと思う。
ちなみに、一応念を押しておくと「奈々子」のエピソードと伊藤のエピソードの一部以外は、極めて原作に忠実であり、ビジュアル的な部分から内容や進行に至るまで、今作はかなり原作を尊重して制作されている。
その為、理屈が理解出来ず特に「ヤクザ」編以降意味不明という意見が散見されたが、それは原作を読んでも解消されないどころか、巻を重ねる毎に疑問符はより大きくなっていく事ばかりなので、そういった目的で漫画に手を出すのはあまりオススメしない。
まあ、とどのつまり僕自身が原作漫画にさして良い印象がなかったのが、今作の評価に一番大きく影響しているのは間違いない。
それを踏まえて、映像自体は原作の雰囲気を十分に再現出来ていたと思うので、僕のように漫画に思い入れがなく、それでも一応最後まで読んだという方であれば、そこまで悪くは感じないのではないだろうか。
まあ、そんな人ほとんどいないだろうが。
それにしても、名越が自分の精子をすすってトリップするシーンがなかったのは、少し残念なようで実際には削って正解だったと思う。
あれはマジでキモいので。※気になる方は漫画版を是非