Scarlet

カラーパープルのScarletのネタバレレビュー・内容・結末

カラーパープル(2023年製作の映画)
2.7

このレビューはネタバレを含みます

“黒人女性だけ特別”という視点に違和感”

感動や共感を期待して観た女性の多くは、期待を大きく裏切られたであろう。

1920年代前半から第二次大戦後の1946年頃迄のアメリカ。
この時代、不幸だったのは、黒人女性だけなのか?

黒人オンリーの閉鎖社会で、女性達が、いかに男性達の奴隷的支配に苦しんでいたか、いかに女性達の地位が低かったか、をこれでもかと訴え、そこから飛び出して自立した女性セリーと、サポートした歌手のシュグにフォーカスした作品。

スピルバーグの原作映画未鑑賞。
真っ白な状態で本作を観たのだが、同情も共感も感動もなかった。

全てが表面的で偏った視点からの作品であるからであろう。

1920年代前半の日本は、大正デモクラシーといわれる民本主義活動が起こった時代。
参政権は特権階級の一握り。一般国民には男女共、参政権が無かった。

女性の地位の低さは言うまでも無いが、ごく一部の女性達が洋服を着て(殆どの女性は着物)仕事を持ち、モダンガールと言われ、自立していた。

本作ののシュグのような女性達だ。

つまり、日本の殆どの女性達は、家族家庭に縛られていたセリーと同じであった。

では、アメリカの白人社会はどうだったのか?

アメリカ国民(白人)に正式に参政権が与えられたのは、1920年だが、当時、暗黙の了解で、実際に投票できたのは、白人男性のみ。

人種を問わず、全ての女性に参政権が与えられたのは、なんと、1965年。
前東京オリンピックの翌年である。

ちなみに日本では、1945年に、男女問わず全国民に参政権が与えられている。

アメリカ人社会は、人種を問わず、実は
日本以上に男尊女卑社会だったのだ。

故に、1960年代の後半、アメリカからウーマンリブ(女性解放運動)が起こる。
“女性はこうあるべき”)という
全ての既成概念から女性を解放する運動である。

これは黒人社会の運動ではなく、アメリカ女性から全世界の女性に広がった動きである。

何故、長々とアメリカの女性の地位の歴史を語ったかというと、

白人社会も黒人社会と同様、男尊女卑で、女性が虐げられてきたのは、白人も同様だった、という事実を思い出して欲しかったからである。

セリーやソフィアが、夫から、社会柄受けた仕打ちは確かに理不尽な酷いものであったが、それはアメリカの黒人社会だけの特別な状況ではない。

世界中の多くの女性達が同様の、更に酷い経験をしてきたのは、今は周知の事実であるのに、何故キャスト全員(市長夫人を除く)黒人、狭い村の閉鎖的な黒人社会の話しでまとめてしまったのか、勿体無い限りだ。

また、1番の失敗は、わざわざミュージカルにした事。
ミュージカルにする意図も効果も見つからない。

“DV防止法”
という法律がある。
配偶者及び交際相手からの暴力及び性的虐待を犯罪とし、加害者を罰する法律が、日本では2001年にやっと施行された。

5回の改正を経て、昨年2023年に、精神的虐待や元妻子に対する接近禁止期間の延長などを盛り込んだ、ほぼ確立されたものになった。という事を知った。

セリーの苦しみは、1世紀後の一部の女性達にもあり、それを防止し、被害者を保護するために、多くの人人達が奔走している。

この辺のまで思考が広がるような作り方をすれば、本作は、もっとキレのある、重厚な、感動的なものになったのに、残念な気がする。
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