このレビューはネタバレを含みます
フェミニスト作家アリス・ウォーカーの原作をこのご時世にミュージカルリメイクするとなればどうなるかはある程度予想がついたが、それしにても薄っぺらいなという感想。
最大公約数にウケるようAIが生成した脚本に、AIが生成したような耳障りは良いが印象に残らない曲をくっつけたような感じだ。
戦前のコスプレをした人たちが、超今風R&Bを歌い上げながら超今風にダンシングしてた。
一応これ、「20世紀初頭」を舞台とした、女性ブルースシンガーが軸になる「ミュージカル」映画なのですよね...?
それで当時の音楽文化の空気感を伝える気がまるで無いってのは、いかがなものかと思う。
マーティン・スコセッシとかクリント・イーストウッドみたいなオタク並みに拘れとまでは言わないけど、20世紀初頭の音楽的遺産へのリスペクトがあまりにも無さ過ぎる。酷い。
しまいにはハーポのバーのギグでシュグのド派手な登場シーン...もはやビヨンセ過ぎて...時空を超えてやってきたんですか?ギャグですか?
って、今回の監督を調べたら、ホントにビヨンセのMV映画を手掛けてる若い黒人監督(兼ミュージシャン)だった。苦笑
なるほど...、まあ納得...ですな。
ちなみに85年版は、音楽面でクインシー・ジョーンズの20世紀初頭の黒人音楽文化への愛とリスペクトがあったと思う。
そしてストーリー的にも、なんか好みじゃないですね。
特に何か努力するわけでも行動するわけでもなく、20年、30年、何となくふわふわと人に依存し流されてるだけの主人公、セリー。
ようやく家を出たのも有力者のシュグに連れ出されただけの他力本願。
開業も、期せずして親の遺産を相続しただけの棚ぼた。
最愛の妹ネティが帰国できたのも、元旦那の私財はたいた尽力のお陰。
セリー本人はなーんもせず、なーんも考えず、何となーく歌って踊って暮らしてたら、何か分かんないけどいろいろ棚ぼたと他力本願で全て上手くいきました的な...ハナシ。
自分の意志で行動して努力して自立して自由と尊厳を勝ち取ろうよ!って話でもなければ、かといって周囲の人に感謝しましょうねって話でもなさそう。
何の努力も行動もなく、とにかく社会保障だけをねだる近年の人権活動の思想の空洞化をみるような思いがした。
こんな事ならネティ側メインで観たいなと思ってしまった。
あとはまぁ~フェミニスト作品の鉄板でもあるけど、ファンタジックなまでに謎に極端な人たちばかりでね。
女は極端に主体性のない女 or 極端に攻撃的な女のどっちかしかいない、
男は、頭のおかしいパワハラ・モラハラ・セクハラ男 or 頭の悪い下僕男の両極端しかいない世界線。
あと夜の映画館のシーンからの、ディズニープリンセス風の妄想歌唱で十分萎えたところに、脈絡なくしれっとレズビアン描写ねじ込み。
どうしてもLGBTQは入れないとだめなんですかね?
そしてミュージカル映画って、こんなにも不自然に唐突にMVのように歌い出したり踊りだしたりするものだったっけ?
白人の市長婦人に楯突いたことで収監された友人、留置所で彼女に面会して出てきてセリーが開口一番「男ばかりの家で、女は奴隷〜」と歌い出すのも、よく分かんなかったな。
当時ブルースは「悪魔の音楽」と言われていて、ゴスペルとは到底相容れないジャンルだった、、そのシンガーだったシュグと、神父だった父親との確執と和解も、何だか説明不足で。
そういや音楽的には、たまに聴かれるマスターのギターフレーズだけが唯一時代相応のブルースフィーリングを発してたな。
そのマスターがいきなり改心した経緯もなんだか...。
終始、
「ほら、お前らこういうハナシ好きっしょ?」
「こんな感じのR&B好きっしょ?」
って言われてる感じだったが、あざといばかりで刺さりませんでした。
エイセスでおなじみルイスゴセットJr.の狂気の演技は流石だったが無駄遣いだったかな。