耶馬英彦

ボストン市庁舎の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

ボストン市庁舎(2020年製作の映画)
4.0
 タイトルの通り、舞台はボストン。ボストンと言えば、川を隔てた対岸のケンブリッジにはハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(M.I.T.)がある。マサチューセッツ州の州都であり、ボストン茶会事件という歴史的な出来事でも有名だ。アメリカで最も重要な都市のひとつである。
 実は映画を観て少し驚いた。職員がこれほど真面目に話し合い、そして職務に努力している自治体が、トランプを大統領に選ぶアメリカにあるとは思ってもいなかったのだ。考えてみれば、アベシンゾーが長いこと総理大臣だった日本にも、まともな自治体はある。大変失礼した。

 市長が誇らしげに演説するように、ボストンは失業率やその他の数字でアメリカの都市をリードしている。アメリカで最も優れた市政が行なわれていると言っていい。それを支えているのが、会議で繰り広げられる職員同士の熱い議論である。
 なにせ、ひとりひとりの発言が長い。同じ長い話でも、井戸端会議の長い話とは違って、ちゃんとしたデータと自分の経験を踏まえての長い話である。こういうまとまった論理の展開が出来るのは、日頃からの問題意識と、その解決のための努力があってこそだ。

 こういった会議が日常的に行なわれ、ときには市長も参加する。部署ごとの責任者に権限が移譲され、責任者が一同に介して市政を取りまとめる会議も行なう。そこでは市長から直接考え方が伝えられ、それに対しての議論もある。市長に賛成する意見もあれば、反対する意見もある。市政は上意下達ではなくボトムアップでもない。市長も職員たちも、市民の安全を守り市民の希望を実現するための対等なパートナーなのだ。だからフランクな議論ができる。
 警察署長は単に法を執行するだけではなく、被害者のケアや出所した犯罪者の更生にも協力する。しかしどこまでもそれをやっていくと犯罪者の取締りが疎かになるから、どこかで次の部署にバトンを渡す必要がある。ボストン市庁舎には、既にその部署が用意されている。用意周到なことには、更にその次の部署まで用意されているのだ。
 同じようなことが他の事案でも実施される。部署から部署へ引き継がれるのだ。市長は部署同士が少しずつオーバーラップしてスムーズに問題が解決されるように、部署の責任者を集めて議論を重ねていく。目指すのは民主主義の完全な実現だ。素晴らしい。実に素晴らしい。

 市長は銃規制の法案が通らないことに憤る。学校での銃乱射事件が起こるのは世界でもアメリカだけだ。銃があるから乱射事件が起こる。銃を規制すればいいのは誰にでも分かることだが、全米ライフル協会が長期に亘って政権に圧力をかけ続け、共和党の政治家を中心に、銃規制法案が通らないようにしている。
 市長は、不祥事を起こしたメーカーがリコールしたり改善策を示したりするのと同じように、全米ライフル協会は学校の銃乱射事件が起こらないように改善策を出す義務があると主張する。まさにその通りだ。この市長は当方が言いたかったことを百倍も上手く表現してくれる。見事である。そして勇気がある。

 ボストンの職員が心置きなく働けるのは、市長の勇気に支えられているところが大きい。議論でも「市長が言っている」という言葉がたくさん出る。それだけ現市長に対する信頼が厚いということだ。こういう首長さんは日本にもいる。コロナ禍に対して画期的な対策を講じた世田谷区長の保坂展人さんや和歌山県知事の仁坂さん、東大出の元国会議員とは思えないほど熱い男、明石市の泉市長などだ。これらの首長さんたちは信頼されているだけではなく、尊敬されてもいると思う。総理大臣も首長のひとりだが、岸田文雄を尊敬している日本国民は何%いるだろうか。小池百合子を尊敬している東京都民は何%いるだろうか。

 国が地方自治体にあれこれ規制をかけて、首長に手腕を発揮させないでいる面もあるが、それで諦めるのではなく、規制や条件の中で出来ることを工夫して実現するのが優れた首長だ。そういう首長の一番の仕事は、職員が働きやすい環境を整備することである。頑張りたい職員、努力したい職員は沢山いる。上から押さえつけて努力させないのが最悪の上司で、押さえつけを取り払って天井をなくせば、優れた職員はどこまでもハシゴを昇っていく。
 首長によって都道府県や市区町村の住みやすさ、幸福度が変わるとすれば、有権者の使命は優れた首長を選ぶことだ。しかし日本では、ドブ板選挙と言われるような縁故政治がいまだに主流である。縁故資本主義と呼ばれるように、日本の社会自体が縁故主義なのだ。有権者は縁故に左右されてしまい、自分の判断を放棄している。これでは国民主権とは言えない。日本の有権者の多くは民主主義を放棄しているに等しい。無念だ。
耶馬英彦

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