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クライ・マッチョのしおえもんGoGoのレビュー・感想・評価

クライ・マッチョ(2021年製作の映画)
3.3
私はクリント・イーストウッドの西部劇時代を全然知らなくて、ダーティーハリーすらテレビでやってたのを一本見たことあったかな?ぐらい。

当時私の中ではチャールズ・ブロンソンと同じ括りで、金曜ロードショーでやってても「お父さんが見る映画」という感じで関心が無かった。
まさに「マッチョ」なイメージ。

だからこの作品でイーストウッドが老いたカウボーイを演じている事のありがたみ(?)というか、ファンが持つしみじみした感傷はあまりピンと来てない。

最近の主演作では自分が演じてきた歴史を皆が知ってる事前提で「今は老いてるけど昔は強かった人」というイーストウッド自身のイメージがそのまま投影されてる役が多い。
今作はまさにそれ。彼自身の圧倒的な存在感で彼が出てるだけで一定基準は自動的にクリアされている。
「クルミさえ使えばお菓子は大抵美味しくなる」みたいな感じというのかな。

今作も老いたカウボーイと、親の愛に飢えたちょっと生意気な少年(とその鶏)のロードムービーで、この設定だけでも面白さは担保されている。

以下ネタバレあります

しかし、やっぱりいかにイーストウッドと言えど、やはりちょっと老いすぎであることは否めない。
せめて10年、出来ればあと20年早く作って欲しかった。
20年前の作品と言えばスペースカウボーイくらいでちょっとギラギラし過ぎかもしれないけど、せめてグラントリノの頃にして欲しい。

「マッチョであると何でも分かった気になるが、年老いたら自分の無知さを知る」のようなセリフがあって、恐らく肝であるこのセリフのために「今は老いて弱い」を見せなければならなかったのだろうか。70歳のイーストウッドでは老いが足りなかったのかもしれない。

でもいかにイーストウッドでもさすがに90歳では動きもシャキシャキしているとはいえず、追っ手にパンチしたらマイクが骨折しそうでドキドキするし、そもそも「ちゃんと運転できるのか」と不安にすらなる。

そうかと思えばラフォの母親も、食堂の女主人もマイクを異性として見ている。いくら美しい老い方をしているとはいえ、さすがに不自然。

70代のイーストウッドならもっとギラギラしてたし、あの女主人が60代ぐらいだとすると惹かれ合うのも分かるのに。
手話で女の子と話したり、動物に詳しかったりと、まさにマッチョでは無い魅力を発揮していただけに、女主人とのロマンスはちょっと浮いていたと思う。

またラフォが父親のもとに向かうことも、なんだかふわっと終わってしまった感がある。マイク自身も父親に渡していいのか迷っていたように、父親の元に行くことがラフォの幸せにつながりそうに見えないからだ。
ラフォも父親(とマイク)が嘘をついていたことに散々怒っていたのに、マイクのマッチョに関する話を聞き、やっぱりアメリカに渡ると決めるのだが、その心変わりがピンと来ない。「マッチョでない強さを身につけて向かうべき場所」とは思えないから。
もっと早くに父親の真意を聞いて怒って、そこからいろんな体験を経てあのマッチョの話であればまだ分かるのだけど。
あるいはラフォがアメリカや母親の元での裕福な暮らしを捨ててあの食堂のある村に戻るのでも納得できただろう。

追っ手ものんびりしてるし、何故これまで二人派遣して失敗してきたのか不思議な程だ。もしかしてイーストウッドの老い度合いに合わせて敵の強さを調整したのだろうか。

原作がある話らしいのでラフォがアメリカに行き、マイクが食堂に残るという結末は変えられないのかもしれないけど、果たして原作ではマイクはいくつの設定なのだろう。
90歳じゃないと思うのだけど。

老い度合いが説得力を与えると同時に、リアリティを損なっているなと思う。

それでもメキシコの朴訥とした風景と、二人と一羽がボロボロの車で旅している光景だけで絵として魅力的だった。
せめて「運び屋」の時位だったらなあ。
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