いやー、これは面白かったですよ。カリコレで先行上映されていたこととオソレゾーンの配給ということで期待値はかなり低めで観たということもあるかもしれないが、かなり期待を越える面白さでびっくりしてしまいましたね。そして面白いだけでなく怖い映画だった。俺がストレートに怖い映画だなと思うのは結構珍しいことだと思うのだが、個人的には久しぶりに自分の恐怖感に刺さる映画でしたね。ま、そこの詳細は後述するとして、そんな感じで思わぬ儲けものな映画でしたよ。
あらすじはというと、本作の物語は80年代サッチャー政権下のイギリスで主人公の30過ぎくらいと思われる女性が子供の頃に行方不明になった妹のことをずっと心の中で気にしていて、どこかで彼女は生きてるんじゃないかと思ってちょっとしたきっかけで多分20年以上は前に行方不明になった妹を探し始めたりしてしまうという映画です。うん、まぁそれだけならよくある話と言えるだろう。未見だが最近でも石原さとみが主演した『ミッシング』という映画は行方不明になった娘を探す映画(物語としての核はその過程での様々な出来事であろうが)だった。一言では言い表せられない不思議な映画だった『墓泥棒と失われた女神』も想い人を探すというのが主人公の第一の目的なので似たようなお話ではある。そのようにいなくなってしまった大切な人を探す、というのがメインの筋となるお話はそれ自体はぶっちゃけありふれたもので、それをどのように描くのかということが作り手の力量を問われるところであろう。
それでいくと本作の面白かったところとして『映画検閲』という邦題にもあるように主人公が暴力シーンや性描写を売りにした過激な映画、いわゆるビデオ・ナスティの検閲を行う職に就いているということが非常に大きく、また秀逸なアイデアであったと思う。要はB級どころかC級D級、果てはZ級な人が残酷に殺されることだけがウリのクソみたいにつまんない映画の検閲官として働いているわけですよ。そしてその手の映画っていうのは皆さんご存知だろうが主役としても被害者としてもキャスティングされるのは女性であることが多い。最近のハリウッドナイズされたようなホラーじゃなくて80年代当時であれば主役とは言っても主役兼被害者であり最後に主人公も死んじゃって終わりみたいな映画もいっぱいあるんですよ。メジャーどころでは『ペットセメタリー』とかがあるけど、これはある種のネタバレになるから具体的なタイトルは挙げないでおくか…。ま、ともかくクソ安くてビデオスルー上等みたいなホラー映画には女性が殺されたり拷問されたり追い詰められたりするシーンがとにかく多いのである。
そこが正に本作の設定と物語が上手く噛み合う部分で、尚且つ俺自身の個人的な恐怖の対象とも掛け合わさって本作を面白くしているところなのだが、しかしその本題に入る前に客観的な事実としてここから先の感想は作中でハッキリと映像なりセリフなりで描写されたものではなく、俺の想像や仮定や妄想の産物であり、さらに仮定に仮定を重ねるといったところまで行ってしまっているのであんまり真に受けない方がいいよ、と書いておく。そしてその客観性のない感想の前にもう一つの前提を提示しておくと、感想文の最初でも意味ありげに書いた俺が本作に感じた自身の中にある恐怖の対象というのは“罪悪感”である。自分が悪いことをしてしまったという感情。俺はそれが怖いのだ。
さて、では仮定塗れの感想の本題に入ると本作はあらすじでも書いたように主人公が子供の頃に妹が行方不明になったことが非常に重要なこととしてある。その辺の描写はハッキリとは描かれないのだが、どうも姉妹が近所の森で遊んでいてそこで何かがあって、結果家に帰って来たのは主人公である姉だけだった、ということらしい。もちろん警察による捜索もしたのであろうが手がかりはなく迷宮入り。映画の冒頭は法律上の手続きとかの一環なのだろうが、主人公の両親が妹ちゃんが戸籍上は死亡したことにするよ、と主人公に告げるものの主人公は納得がいかない様子を見せるところから始まる。
ここでの主人公の心情としては、まだ妹はどこかで生きているかもしれないのに捜索を打ち切るようなことなどできるか! というネバーギブアップ精神で、物語の主人公としてはアッパレ! と言いたくなるようなところでもあるのだが、現実的に行方不明から20年とかの月日が経ってたらまず生きている可能性は低い(現実では新潟の監禁事件とかもあったが、レアなケースではあろう)にも関わらず妹の死を頑として受け入れないというのがまず引っかかる。ここからが完全に俺の仮定と妄想なのだが、幼い姉妹が遊んでいた森ってのは多分普通は遭難とかするような場所ではなく、あくまでも家の近所の森であったと思うんですよ。そして妹の失踪というのは事故的なものではなく事件的なもの、要は変質者に誘拐されたとかの可能性が高いものだったのではないだろうか。さらにそこに仮定を重ねると、最初は姉妹揃って誘拐されそうになったけど主人公だけが逃げおおせた妹が誘拐されるところを遠くから見ていたけど怖くて何もできなかったというようなことが主人公にはあったのではないだろうか。そしてその事実はそのまま自分が妹を見捨てたという自責の念にも繋がるから両親にも警察にも言うことができなかった、もしくは、妹が変質者に誘拐される現場などは目撃してはいないがつまらない理由(だが主人公に非がある)で姉妹喧嘩して一緒に出はなくてバラバラに帰宅している最中に妹が行方不明になったとか、そのような経緯があったのではないだろうかという気がする。
つまり、俺の仮説では主人公は自分のせいで妹を失ったという罪悪感に苛まれているわけだ。そしてそんな罪悪感を抱えたまま女性が犠牲となるクソみたいなホラー映画を仕事として毎日見ているわけである。そしてある日突然、その映画の中の登場人物が妹に似ている! この作中で殺される役を演じている役者は妹に違いない! と確信してしまうわけだ。
めちゃくちゃ怖いじゃないですか、これ。自分の中にある罪悪感が作り話という妄想の中で膨れ上がっていって、それと現実との区別が付かなくなっていって妹を救わなければいけないという妄執に憑りつかれていくんですよ。当然、本当に救われるべき妹がいるわけじゃなくて、突き詰めると主人公は自分への赦しがほしいだけなんですよ。あのとき妹を見捨ててしまった(俺の想像です)あるいはあのとき妹と別行動を取ってしまった(俺の想像です)自分に対して。
これの何が怖いかっていうと、救われるためには自分の罪を認めるか、そうでなければ狂うしかないということなんですよ。それはどっちの道を選ぶにしても怖いことですよ。そして本作はホラー映画の検閲という題材で
その恐怖を入れ子構造的に描いていて、その手腕は中々に見事だと思う。何が罪なのかを定めるのはやはり神ではなくて人なのではないだろうか。だったらそこにラインを引く検閲者が罪を犯していたのなら…? そしてそれが自分の中にしかない罪悪感なのだとしたら? 俺が本作から感じた恐怖というのはそういうものでしたね。
実に想像力が刺激されるホラー映画だったと思う。それでいて中盤以降のギアが入ってからのB級な馬鹿馬鹿しさもあるので侮れない映画ですよ。急にバカ映画になったな!! という感じの死亡シーンとか最高。声出して笑っちゃったよ。というか基本的にはそのような低予算B級ホラーなんですけどね、でも表現の検閲というネタが効いた多重構造の悪夢から主人公が逃れられなくて、追ってくるものが自分自身の罪悪感であるということは個人的にはめちゃくちゃ怖かったですね。
自分が自分自身を赦せないとか受け入れることができないってことは本当に恐ろしいことなんですよ。かつて俺が碇シンジに自分を重ねたのもそこだからな。ま、繰り返し書いてるようにこれは仮定に仮定を重ねてるような感想文ですけどね。
しかし個人的にはそういうところが描かれてる映画だったと思いますね。罪悪感、もしくは自己嫌悪が何よりも怖いという人にはクル映画だと思うよ。面白く、怖い映画でした。