真の対話は、話すことではない。聞くこと。
被害者の両親と加害者両親との対面、対峙、対話、対決、そして、、、
銃乱射事件を起こした犯人側、亡くなった側、お互いの親たちは何を話し何を求めるのだろう。
人は、誰かと ”対峙“ する時、きっとその先に何かゴールや着地点を期待する。
あまりにも真反対にいる者同士そこに到るには、アレを導き出すしかない。
それにはとてつもない勇気と決心が要る。
たった一言なのに。
双方の6年間は、癒しどころか哀しみと十字架の苦しみが増した期間だったのかもしれない。
被害者側は一区切り。
ただ、銃によって未来を絶たれた若者は他に9人。
犯人が両親に遺した重荷は計り知れない。
米🇺🇸原題『Mass』は、ラテン語のミサ(カトリックの重要な祭儀)と同意であり、mass shooting で銃乱射事件を指すなど複数の意味を暗示する