まず映画化決定の時点からロケットスタート、、というより見切り発車。
クランクインしても二転三転。
ここで「誰も撮らんなら俺がやる!」と、映画監督 角川春樹が爆誕する🧟
角川映画は、時代の事情や大人の都合の関係もあって、括ろう分類しようとすると大変だ。
トップが変わり、資本が変わり、扱う作品が変わり。。。ただ、変わらないのは、角川商法は今も受け継がれ、それを興したのは角川春樹だったということ。
角川春樹が興した角川商法の代名詞、メディアミックスは、難しいことは分からないけど、直感と勘違いに依るところが大きい気がする。
角川春樹が初メガホン📣をとった本作は、そんな諸々のイメージを体感するのにもってこいの教材である。
「僕は泥棒だよ君のハートを盗みに来た」
「給油の時しか戻ってこない人ね」
「アキオ、マシーントセックスシテルノネ」
「へいListen !、北野晶夫が戻ってきたぜ」
・・・2024年現在赤面(;;;・_・)するようなこんなセリフが並んでたって、
ペリエにライムを搾って飲む
クリスティンの肩パット逆三角形過ぎ🕴🏼
🏊♂プール💪ジム👔自動倉庫みたいなクローゼット🎻ミニシアターばりの音響室があるデザイナーズマンション
窒息する程のバラ🌹🌹🧖🏼♀️🌹🌹に埋まるクリスティン
・・・こんなんおらんやろってシーンばっかりだって、、、
角川春樹と言えばみんな納得し、惚けた顔になっていた、そんな時代のしゃれおつイメージムービー。
そうは言いながら、モーターサイクルレースのシーンに関してはガチンコ。
ある意味、この時代によくこんなの撮れたねってくらい😳
そりゃそーだわ。
エンドクレジットには、金谷秀夫、木下恵司、徳野政樹、新井亮一、和歌山利宏、福田照男ほか往年の名ライダーがずらずら。
ウイニングランでの一瞬のアップに、平忠彦の顔もちゃんと確認出来る。
撮影監督の仙元誠三氏が命懸けで撮ったフィルムはなかなかの迫力。
その仙元氏を怒鳴り散らしながら仕切った角川自身も、バイクを体感するためにサーキット走行した際大ケガをしている。ちなみに二輪免許なし。
もう無茶苦茶やで😩
ネジのぶっ飛んだGPライダーたちの視線はこんな感じ
【ライダー目線・最高時速340キロの世界】カタルーニャ・サーキットをMotoGPマシーンで疾走!
https://youtu.be/aYd1MxOcFsE?si=_0WJ_ixfvjDn1UQF
メインステージとなる菅生サーキットは、間接的にYAMAHAが擁する宮城県のレース場。
当然登場するのもYAMAHA一色。
Kevin SchwantzやBarry Sheene MBEに始まって骨の髄までSUZUKIなわたしには複雑な思いだったが、どうしてどうしてYAMAHAさんも今もって漢気ある企業。
ヤマハが挑む「夢を与える」人材育成戦略!
https://youtu.be/uQPonJgl-KM?si=ZG5Hf9H4bFBKpXKN (34:43)
お急ぎの方は、8:57からどうぞ〜
1982 年 年間出荷台数 約3,290,000台※
1993 年 1,254,254台
2000 年 779,877台
2023 年 376,720台
このデータは、一般社団法人日本自動車工業会による、日本国内で1年間に出荷された二輪車台数の統計である。
(※統計開始は1993年なので、1982年値は世間に流布されている推計値)
本作が公開された1980年代前半あたりをピークに、二輪人気は下降の一途をたどっている。
わたしがバイクに乗っていたのはちょうど1990年代のおよそ10年間だが、二輪の鉄馬🏍に熱狂した者としては淋しい限り。。😣
マシーンを愛し
ロードレースを愛し
サーキットに散った戦士たちよ
いま
鎮魂の譜(うた)を捧げます
映画はこのカットが映し出されて始まる。
撮影が1982年8月から10月。
サーキット上で亡くなったライダーはたくさんいらっしゃるものの、
同年5月12日、菅生で息を引き取った高井幾次郎に向けられたものではないかと思う。
角川が残したコンマ1秒のエクスタシーは、しっかりと高井さんにも届いているに違いない。
。。ということで今回は2023年1月9日に豆晴@hahanakuさんから頂いたリクエストへのお応えでした。
有り難うございます!
※リクエスト下さっている方々、
頂戴したご要望は有り難く丁重にリスト化してますが、鑑賞の機会に恵まれてレビューする気力がある時に初めて公開するシステムになっております😂ので、順番前後する可能性も大いにアリ、ふた月み月1年2年....と気長に温かい目でお待ち下さい。