Kamiyo

悪い奴ほどよく眠るのKamiyoのレビュー・感想・評価

悪い奴ほどよく眠る(1960年製作の映画)
3.5
1960年 ”悪い奴ほどよく眠る” 監督 黒澤明

松本清張原作と勘違いしてしまうほどの濃密な社会派ミステリーだ。小国英雄、久板栄二郎、菊島隆三、橋本忍と監督を務めた黒澤のそうそうたる5名による共同脚本の産物だ。
政治家、官僚、大企業幹部ら権力や金を持った人間の腐敗や汚職は全く後を絶ちません。
「政治と金」の問題は現代でも毎度マスコミや世間をにぎわしている。ニュースで新たな問題が報じられる度に、「またか」と思い気にも留めなくなっているほど“日常的な問題”となっている。恐ろしいことだ。
現在でも、2021年東京オリンピックの贈収賄汚職がマスコミや世間をにぎわしている。
彼らだって子供の頃は純粋無垢であったハズなのですが権力や金は人間をここまで腐らせてしまうのだろうか・・・・・ 
本作は巨匠黒澤明が、スリリングに描いた昭和時代の「政治と金」問題の顛末である。

1960年(昭和35年)に公開された黒澤監督の「悪い奴ほどよく眠る」も絶大な権力を持つ土地開発公団の汚職を描き映画公開から60年近く経った今日まで延々と続く巨悪の構造にメスを入れた社会派サスペンス映画です。
しかし映画としての評価になると他の前期黒澤映画の様な高い評価が付けれるのか、となるとかなり疑問な部分があります。
腐敗しきった強大な権力の内部を描く、という構想にはとても共感出来るし三船敏郎をはじめ配役陣の熱演も素晴らしいのですが個人的な感想としてはやや不満点も残る感じなのです。
この映画に関して最大の不満点は三船敏郎演じる西の岩淵公団副総裁(森雅之)に対する復讐心の動機の描き方が今ひとつ弱い事です。
西が自殺した自分の父親の復讐を果たす為に岩淵の娘の佳子(香川京子)と偽装結婚し岩淵の秘書になる、という設定ですが権力の中枢にいる岩淵に接近する方法としてはかなりイージーな描き方とも感じられます。
そもそも西は実の父親の私生児として生まれ、長い間自分と母親を捨てた父を激しく憎んでいました。その父親が公団汚職の犠牲となり自殺したからといって、それまでの父親に対する感情が180°逆転し自分の人生を捨ててまで岩淵に復讐しようとするのもやや不自然な気がします。

冒頭の結婚式披露宴のシーン。コッポラの『ゴッド・ファーザー』にも影響を与えたのではないかと噂されている。披露宴直前に、多くの報道陣が駆け込む騒ぎと、刑事に連行される出席者。足の動きが不自然な花嫁の登場と、披露宴での出席者の怯えたり、慌てたりする奇妙な行動。
そのやりとりを、何故か開け放たれた部屋の外から、見守っている報道陣。出席者が何か行動を起こすたびに、報道陣から、その人間の説明が入る。主要な登場人物たちの解説を観客に向けてしている訳だが、とても巧みな導入部ではあると思う。主要な人物を、一つの場面で最初から集めてしまうという、てっとり早いやり方でもある。

それにしても、ビルの形をしたウエディングケーキ。
これを見て、心当たりのある悪い奴らは、かなり動揺する訳だが、誰がこんな注文をしたのか、調べればすぐに判りそうなものだ。ただ、小道具としては、確かに面白い。
これから始まる復讐劇ののろしが上がる。

殺された父親の復讐を果たすという意味では、
ハムレットを下敷きにしたと言われる。
最終的な解決には至らないので
通常の犯罪ものとも次元が違う。
相手は社会構造の悪であり
ハナから綺麗な結末は難しい。

見どころは、出演陣のぶつかり合い、やはり名優たちの演技合戦だ。復讐の鬼と化す三船敏郎演じる主人公の苦悩。
三船敏郎は主人公でありながらしばらく台詞もなく
地味にしているので、登場しているにも係わらず気がつかないほど、若い風貌を真面目な秘書姿に押し込んでいますが、次第にらしさが輝き始めます

副総裁役の森雅之の老け役が見事です
老けメイクで挑んだ森雅之(言われなければ誰だか分からなかったよー!)の狡猾さは憎らしいばかりだ。
森雅之のメイクと演技に脱帽する、びっくりした。
その上滲み出る酷薄さが超一流の悪役ぶりでした

それに比べ他の小者たちの小者たるや(笑)
追いつめられ動揺し、ビビるあまり、ボロをボロボロ出していく課程は、追いつめる三船でなくとも、その姿にほくそ笑む。本作で一番サスペンスフルな展開は、西村晃演じる白井を自白させるために、窓際に追いつめるシーンだが、西村の鬼気迫る演技は特筆に値する。追いつめられ、次第に顔代わりし、やつれ、ついには精神に異常を来す。
西村晃が自宅に帰る深夜のシーン、三船の懐中電灯だけのコントラストのきいたモノクローム画面で、狂気に至る芝居が強烈な印象を与える。小者とはいえ哀れだ。
保身のために仲間を裏切る奴と、家族を犠牲にする奴の大物度合いと卑劣度合いが見事に比例することに感心してしまう。

悪を追い詰めるためには、自らも悪に染まるしかないのか? ―目的と手段の相克に苦悩しながらも、ジワジワと標的を追い詰めていく西。しかし、敵はあまりにも巨大でした…。
闇深き権力構造に対して、個は無力なのか? 何故正義を貫徹することがこんなに困難なのか? ―苦い結末の後の、「これでいいのか!」という怒りの叫びも虚しく響き渡るのみ…。
決して表に出ることなく、利権を貪り、国民の血税を懐に納め、枕を高くして眠っている悪い奴には、指一本触れることさえ出来ないのか?
 ―今も昔も、全く不変な黒い機構…

プロローグの三橋達也演じる辰夫のスピーチは
その直後の空気感。鳥肌が立ちました。
次に辰夫が西に妹(香川京子)の怪我の訳を話すシーン。
西がどれほど妹のことを思っているのか語ることは
ないがその行動ですべてが伝わり辰夫は理解する。
さらに西はその佳子を思う気持ちはあるが自分の本懐の
ために気持ちを押し殺しそれに傷つく佳子。
もうこのシーンはたまらなかったです。

廃墟になった軍需工場も、戦後15年の荒々しさを感じる。ひねりの効いた題名だが、とうとう悪い奴は姿を現さなかった…。
ラストに公団副総裁岩淵が頭を深く垂れて電話をしている向こう側にはもっと悪い政治家がいるのだろうな~と思いますが、最後のシーンでも全て丸く収めたとの報告をして終わる、何とも観客からすると後味の悪さが残る名画だと思います。
Kamiyo

Kamiyo