じゅ

Red Moon Tide(英題)のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

Red Moon Tide(英題)(2020年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

これは刺さった。好きとか面白いとかそんな段階を軽く飛び越えて、刺さった。

ガリシアの綺麗な自然に綺麗な町並。基本的に引きで撮られていて、相対的に自然を壮大なものとして、一方で人間をちっぽけな存在として描いている。
世界観はどこか不穏ながらどこか穏やかで、現実的ながら幻想的で、深く深く謎めいて、おまけに停滞しているようで実は着実に何らかの形態の終焉に導かれているよう。
廃れた町に疲れ果てた人々。文字通り全て停滞していて、思念が漂うのみ。朝と夜のサイクルとか獣たちの営みとか森や川や海の息吹とか、そんな自然の営みだけが何事もなかったかのように動き続けている。
静止した人々にはやがて3人の魔女とやらに全身を覆うほどの大きさの白い布を被せられ、それまで一人ひとり固有の姿を纏っていた人間たちが一様な白い塊に置換される。この画がなんかすごくグッとくる。
終盤で赤い月が出て真っ赤に染まる画がもう最高of最高。


Rubioが怪物を倒しに行くと海に出た切り帰らぬ人となる。彼が乗った船は難破し、彼の遺体は一部すら見つからない。それきり町は時が止まり、そのまま(百年か千年もの間か、あるいはつい昨日からか)人々の営みが制止する。Rubioの母は、思念の力か、時が止まる前に行動していたのか、彼の遺体の捜索を魔女に依頼する。町に訪れた3人の魔女はRubioの遺体を発見するも、町民に畏れられていた"赤い月"の御業か、それきり他の町民と同様Rubioの遺体の傍らで動かなくなる。その後甦ったRubio。彼以外の者たちは何らかの力に突き動かされるようにどこかへ向かって行く。
見た目ざっとこんな具合の話だったろうか。話の表面からして既に難しかったな。

町民の思念の中に、「海は怪物」「月は怪物(の主)」「あの波の形の岩が全ての元凶だ」というような旨の言葉があった。もしかしたら、ガリシアの地に海とか月とか岩に関する神話なり土着信仰なりがあって本作に関係しているのだろうかと思った。が、少しググってみた限りではそのような情報は見つからなかった。石の船でやってきた聖母様の伝説くらいか。
その他「ダムが閉められてから悪いことが起こる予感がしていた」「ダムを建設した時点で悪いことが起こる予感がしていた」という旨の会話があった。ダムは実際1949年に建設されたそう。加えて「ダムが全てを毒した」というようなことも言われていたので、ダムも何等か理由あって忌み嫌われる存在であった模様。
いずれも神話や宗教的な関りがあるかはよく分からなかった。もう少し調べたら何かつながりが解ってくるだろうか。

その他、物語を捉える上で重要そうなポイントがいくつかあった。

■Rubioは目標を果たしたか
冒頭でRubioらしき声の語りで「怪物が彼ら全員を捕えた」「彼らを連れ出さねば」というようなことを言っていた。彼らというのは町民たちのことだと思う。加えて、Rubioは怪物を狩りに行ったことは繰り返し語られていた。とするとRubioの目標は
・町民を怪物の魔の手から逃す
・怪物を倒す
の2点ということになるか。これらの達成or未達が主題の1つと思う。
Rubio宅でRubioの母を映したシーンで、唐突にガラスの破裂音のような音が轟いた。その後割れて散らばったガラスを踏みしめるような足音、ガラスが散らばっていない床を歩く足音と息遣い、そして、母に語り掛けるRubioの声。その後、山道やダム内部らしき場所で人の姿は見えないが足音が響くカットがいくつか流れる。
ガラスの破裂音のような音は、Rubioが鏡の向こうの世界とやらから鏡を突き破って戻ってきた音と思う。終盤で月が赤くなった後、Rubioが様々な場所を歩くくだりがあったが、その時Rubioが歩いていた音と無人のダム内に響く足音が同じだったような気がする。月が赤くなった後は雑音で音が分かりづらくなるが。また、姿が見えなかったのは、中盤辺りでAndresに「怪物と戦うための身体が必要だ」というようなことを言っていたように、物質的な姿を持っていなかったためと思う。
また、別途Rubioの遺体が見つかり、魔女の1人が彼の顔に鏡を当てて甦えらせる。この時Rubioの魂か何かを鏡を通じて身体に宿らせようとした。前記の解釈が仮に正しければ既にRubioは戻ってきているので彼の肉体に宿ったのは別物と思えなくもないが、その後姿無きRubioの語りが一切無くなるので、然るべき肉体に然るべき魂が正しく宿ったのだと思う。
身体を手にしたRubioはダムの放水を行う。ダムが閉じられていたことと、ダムが元凶の1つであるかのような言われ方から、怪物の何らかの影響(呪いという言葉が使われていたか)が水に溶けて、さらにダムで堰き止められていたと考えられるかも。その水を放出することで怪物の呪いを町から除いたのかも知れない。町民(と魔女も?)が自らの脚で歩いてどこかへ歩いていくことができたのはこのためか。
以上のことを思うと、
・町民を怪物の魔の手から逃す --> 達成
・怪物を倒す --> 小目標の「身体を得る」までは達成
ということになるかと思う。

■魔女とは何者か
どこから来たか誰も知らないし一部の人からは信用されていないようだったが、Rubioの復活に寄与したことと怪物の呪いに掛かったことから、少なくとも怪物の手先等ではなく町民側の味方と思われる。
何やら不思議な物体を精製する描写があったが、あれは終盤に魚の死骸にかけていた煙の製造過程だろうか。甦ったRubioが食していた魚は煙をかけられていた魚だろうか。魚の大量死はダムの影響というような言われ方をしていたので、すなわち怪物の呪いの影響を受けていたものと思われる。煙はその呪いの効力を解くもので、それ故Rubioは魚を食しても大丈夫だったのかも知れない。
彼女らが町民にかけていた白い布は彼らの思念を黙らせる効果があるらしい。白い布を境界とした内部と外部が干渉し合えなくなるとかそういうことだろうか。彼らの声が聞こえなくなる(彼らが布の外部へ干渉できなくなる)代わりに、何者も彼らに干渉できなくなるとか。とか言って「布の下で血が煮えた」「身体から血が抜けて赤い月が飲み込んだ」というような字幕が出ていたので怪物の前では無力だったのかも。
1点気になるのは、魔女が固まった町民の影の頭部にナイフを刺していたこと。手首が見える長さの丈の黒袖だったので、杖を持っていた魔女の腕か。少なくとも苔を採取しているようには見えなかった。

■そもそも作中における世界や"生"とか"死"とは何なのか
「我々の存在は海が見ている夢」というようなことを作中で2度ほど言われていた。これは果たして文字通りなのか何かの例えなのか。
町民たちの様子はよくよく見ると奇妙だった。怪物が怒っただの呪いを受けただのただ事ではない状況なのに、時が止まる寸前まで畏れ慌てふためいていた様子が見受けられない。そのような暇がないほど唐突だったとしても、そもそも日常生活の途中だったかのような印象も受けない。ただ立っていた、あるいはただ座っていたまま固まって各所に配置されたかのよう。
もしかしたら、作中の世界そのものが何か概念的なものだったのかも知れない。
どうやら鏡が特殊な役割を持っているらしい。冒頭でRubioらしき声が"mirror..."とつぶやいていたことや、鏡を通じて死者と話せるという考えがあること、鏡の前に佇んでいた男性が「百年前か三百年前か、以前もこのようなことがあったが、千の死を云々すればまたこの鏡から逃げられるかも知れない」というようなことを言っていたこと、打ち上げられたRubioの遺体の顔に魔女が鏡を当てていたこと等を考えると、鏡を通じて生と死を行き来できるのだろう。
とすると、鏡の前の男性が言う鏡を通じて逃げるという行為は死ぬことを意味するように思えてくるが、果たしてその真意の程は何なのか。しかも、以前もやったことがあると言う。
なので、どうも生や死という言葉が文字通りの意味で使われていないように思えてくる。ある町民が言っていた「肉体の囚人」というような言葉も関係してくるだろうか。

■少しだけ動く人
いつの間にか、Rubioの母の左腕と、鏡の前に佇んでいた男性の右腕が動いていた。
どういうことなの??

様々な謎が複雑に絡まって、奇妙で魅力的な「ようわからん」を築き上げている。故に何回も観返したくなるし、観返す度に新しいことに気付いたりその度に自分の中の解釈が引っ繰り返ったりもする。
そんな画も脚本も最高な傑作だった。あとは極個人的な好みの問題でしかないけどRubioの見た目はもうちょっと引き締まっててほしかった。
じゅ

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