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最後の決闘裁判のRenのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
4.0
【決闘裁判】証人・証拠が不十分な告訴事件を解決するために、原告と被告の当事者同士で決闘を行う裁判のこと。「神は正しい者に味方する」「決闘の結果こそ神の審判」というキリスト教の信仰が背景にある。501年に制度化されて以来ヨーロッパ各地に広がり、中世ヨーロッパでは長きに渡って行われた。
(Wikipediaより)

素晴らしい。どちらかと言うと歴史ものが苦手な自分でも楽しめた。現代に提示することに意味のある、600年以上昔の実話。大コケらしいが、推していきたい。そもそもつまらないと言われたら映画はそれまでなので話にならないけど、それ以上に語りしろは大量にある作品。途中離脱したのに点数だけつけてカッコ付きの「レビュー」を書くような人間、今作に色恋沙汰以上の意味を見出せていない人間の感想はフル無視でいきたい。

現代の価値観を当時に引用したのではなく、最低のマッチョイズムが当時から今に至るまで変わっていないことに気がついてしまう絶望感。この時代と現代は違うだろーと思ってしまう人もいるかもしれないけど実は同じ。そこに気がつくところが、自身の男根主義的価値観を駆逐する第一歩。

まず本作の大きな特徴は、ある一つの事件を、原告(ジャン・ド・カルージュ)、被告(ジャック・ル・グリ)、被害者(マルグリット・ド・カルージュ)の3つの視点から語る、所謂ラショーモンアプローチを取り入れていること。これにより事件が立体的に浮かび上がる。誰が犯人なのか?は主眼ではなく、犯人も事件の内容も三者の視点全てで同じ。ここではこの手法が、彼らの機微の違いを描くのに有効に使われていました。全て、自分の見たいものだけ、自分の都合の良いように映される。『羅生門』というよりも『ミセス・ノイズィ』。

「強姦で妊娠しないことは科学的事実です。」
「あなたは夫との交わりで頂点に達しますか?」

耳を疑うような法廷での発言の数々。
エクスタシー=妊娠の必須条件 という捻じ曲がった科学の下で成り立つ裁判。
後者のような発言はあまりに聞き捨てならないが、現代を生きるSNS世代の我々一人ひとりに潜むセカンドレイプ加害者としての危険性とリンクする。
強姦が重罪である理由も、倫理的観点や個人の尊厳でなく「夫の所有物を損害した」からであるということに唖然。それ故に真偽の所在は被害者女性の元を離れ、当事者の女性を観覧席に置いて、神の名の下に男性同士で決闘が行われる。
一つの事件を軸にして、社会的に根付いていた思想の問題点をドンと見せつける手腕が素晴らしいと思った。

「私だって強姦されたことはあるわ、でも告発しなかった、家柄に傷を付けるから。」

女性が "告発する女性" に対して偏見を抱いていることも分かり、それが強烈でやるせない。前提として 社会の闇 にスポットを当てたうえで、立ち上がるマルグリットを描く構成が、昨今にも通ずるmetoo映画として成り立っているのが恐ろしい。
それだけでなく、クライマックスの決闘アクションも息を飲むほどの緊張感で最高、久しぶりに「前のめりで映像を観る」体験をしました。不愉快なほど鳴り響く金属音の一つひとつに釘付けに。どちらも応援はしたくない。
個人的に、死角の無い映画だったと思う。
「レイプシーンを観るのが辛い人」「馬好きな人」は注意。



《⚠️以下、ネタバレ有り》










前半2章で、マルグリットの苦悩が何一つ描かれないのが胸糞でした。夫視点でさえも。結局彼も、「良き夫」より「勇敢で強い騎士(ステレオタイプの男性性)」像に誇りを持っていたのか。
グリが死に際まで罪を認めないのにも、溜息。根本の問題が消えないまま退場する人物がいることのやるせなさ。
第3章で、これが真実であるかのようなテロップが出ますが、これはそのままラストの決闘シーンに突入するからという意味であって、第3章の全てが真実であるのはかなり曲解な気がしてならない。マルグリットが夫不在のときにめちゃくちゃ機転の効く立ち回りをしている感じも、絶対盛ってない?みたいな。

○ キスのときのマルグリットは嫌悪していたのか、まんざらでもないのか?
○ 靴は脱いだのか/脱げたのか?
○ 押し倒された彼女はどの程度抵抗したのか?
○ 帰還したカルージュと抱擁を交わしたのか?

各章で違いが顕著なのはこの辺り。
個人的には、『このサイテーな世界の終わり』『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』のアレックス・ロウザーの起用がツボ。あの頼りない感じと未熟さが良いんですよね。
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