みそらしど

さがすのみそらしどのネタバレレビュー・内容・結末

さがす(2022年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

SNSで人の感想ツイートを何度か見かけ気になっていたので鑑賞。

終盤になるにつれ、「あぁ、そういうことか」と「どうしてこんなことに…」という気持ちが忙しく湧いた。
登場する登場人物それぞれの心の動きや言動に対して、色々な感情が湧いたけれど、私が共感できる人物はあまりいなかったので沢山の感情を消化しきれないままエンドロールが終わった。
キャラクターが強くてブレない、みたいなわかりやすい人物はあまりおらず、みんな気持ちが揺れて行動がブレるところが、人間の描き方としては好きだった。

とある方がYouTubeで、この作品は「あっち側」と「こっち側」の話だと言っていた。それを映像としてよく表しているのが、智と楓がピンポンでラリーを続けるラストシーンだと。
あのラストシーンは、その比喩だと気づかなくても心が忙しくなる部分だったと思う。
楓があの選択をした決め手はなんだったのか、これだろう!というものが私には決めきれない。
父に罪を償ってほしかったのか、被害者たちに同情したのか、真実を知りながら嘘をついて家族2人で生きていくことに耐えられなかったのか…。
あるいは、本当の父を「さがし」だして止めることができるのは自分しかいないと思ったのかもしれない……。
失踪した父親を「さがす」つもりが、
父親のしてきたこと、父親の本当の姿と過去を「さがす」物語となってしまったのだな。


そして本作のテーマとして、「本当に死にたいか」があると思う。
山内の被害者たちは死にたいという気持ちをきっかけに彼と出会い、ムクドリを除いて皆死の直前で「やはり死にたくない」となる。死を目前にすると恐怖し、生きたいと必死になる。
智の妻・公子も病の辛さから死にたいと願っていたけれど、彼女の死に際の表情や行動は、絶対に「生きたい」人間のものだったように感じた。

まるで、「死にたい」が嘘で、死の直前で本性である生への執着が表に現れているようにも見えるかもしれないが、私はそうではないと思う。

死にたがっている人ほど、本当は生きたがっている。自分の思い描く理想の「生」と現実のギャップに苦しんで、望んでいる「生」でないならば死んでしまいたい、と感じる。「死にたい」の根底には、物凄く強い「生きたい」がある。
生きることに一生懸命だからこそ、ちゃんと、生きたいという欲がある。
こういったことは、ここ数年度々考えているテーマだったので、個人的にはメッセージとしてしっかり届いた。

↑こういった気持ちについて、身に覚えがある人にはセンチミリメンタルの「死んでしまいたい、」という曲もおすすめします。