ベイビー

パワー・オブ・ザ・ドッグのベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

パワー・オブ・ザ・ドッグ(2021年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

圧倒的な画の美しさ
不意をつく効果的な音楽
寡黙ながらも雄弁なカット割り

ああ、映画館で観るべき作品だった…

ほとんどCGを使わず自然の力だけで魅せつける画の力。その画角の美しさと力強さはまさに芸術的。抑揚の少ない物語を静かで丁寧なカット割りが雄弁に物語を導いてくれます。

男の美学、偏見差別、力と威圧、飼い主と家畜。

この世の中は力の差でバランスが保たれてれいる。牧場主であるフィルはその"力"の象徴で、犬のように目を光らせ、威圧的な態度をとりながらその場を支配しています。

男の中の男。その美学に隠されたフィルの秘密。酒は嫌いと言いながらも酒に依存せざるを得ないローズの苦悩。そしてピーターが望む安らぎ。

人はみな心に不安を抱え、秘密を抱え、それを隠しながら何食わぬ顔で平然と生きているつもりです。しかし、いつしかその影は誰かに見透かされるものです。それは遠くに望むあの丘の形と同じです。いくら平静さを装っても、その心の影の形は自然と浮かび出てしまうのです。

「剣と犬の力から、私の魂を解放したまえ」

力に抗い自分の中の穢れを浄化する。それこそが唯一の魂の解放。剣は物質的な力の象徴であり、牙を剥く犬は心の中の怒りや焦り、穢れの表れです。

因みにですが、この作品の終盤でローズの心が乱れた時には鍵盤が激しく叩きつけられた音楽が流れ、その後のフィルの怒りの際には弦楽器が不穏に重なる音楽が使われています。ピアノを弾いていたローズとバンジョーを奏でいたフィルの不協和音。この二人の心音(犬の影)を鍵盤と弦楽器で上手く使い分けているのだと感じました。

そして、物質的な力となる"剣"。力による支配。馬の去勢はその象徴で、生殖線を取り除き精力を抑えるほかに、気性の荒い馬の気力を奪い去る効果があります。要するに去勢とは人間が馬の力をコントロールするということ。馬のあるべき力を奪い、主従のパワーバランスを保とうとするのです。

フィルはピーターと出会った当初、彼の気の弱さを"タマ"を抜かれた馬のように見ていたのかも知れません。しかしフィルは丘の中に犬の姿を見たように、ピーターの中に初見とは違う何かを見出しました。どのタイミングでそうなったのか分かりませんが、フィルはいつしかピーターのことをブロンコ・ヘンリーと重ねていきます。

その根拠は執念深くピーターに手渡そうとした手作りのロープです。そのロープはブロンコ・ヘンリーから譲り受けた牧場の後継者として、ピーターを経営に引き入れる意味もあったかと思いますが、やはりあのロープは犬のリードに見立てた暗喩ではないかとつい勘繰ってしまいます。フィルはピーターにリードを手渡すことで、ペットのように寵愛を施しながら我が手中に収めるつもりだったのではないでしょうか。ブロンコ・ヘンリーの面影を追うように…

ピーターの中に見た"犬"が吠えるような獰猛さ。フィルはそれを見抜いていたものの、皮肉にも飼い犬に手を噛まれる形となりました。

ピーターにとってそれは「魂の解放」。母との約束です。父の二の舞にならぬよう、ローズを心に巣喰う犬の力から解放し、自分の心も解放させたのです。



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以上が僕の勝手な考察。地味で静かな展開ながらも最後に待ち受けるカタルシスはお見事でした。

初めて観るジェーン・カンピオン監督作品。いやぁ、画の作り方が本当に綺麗ですね。まるで80年代〜90年代始めに作られた大作のような圧倒的な美しさ。個人的に好きなのはジョージとローズが抱き合うシーン。中盤とラストに二回抱擁するのですが、特に中盤はあの壮大な大自然の中、二人が世界の中心のように抱き合っているんです。あのシーンだけでも映画館で観たかったな〜。

そして、フィルとローズの鍵盤と弦楽器の音は噛み合うことはなかったのですが、このジョージとローズが抱き合う二つのシーンだけが、ピアノとヴァイオリンの音が綺麗に重なるんですよね。本当に素晴らしい。

素晴らしいと言えば、カンバーバッチの演技は最高でした。冷静の中に宿る狂気。カリスマ性のある存在感は本当にお見事でした。
ベイビー

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