じゅ

鬼が笑うのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

鬼が笑う(2021年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

本当に的確に的確に心の痛いところ突いてくる。終盤動悸が止まんなかったぞ。
というか石川一馬役の半田周平さんって、なんかふとした時に堺雅人に似てた気がする。


石川一馬、母・由紀子と幼い妹・まどかを博打中毒の父・修造の暴力から守るため、高校生の頃に父を殺害する。
更生施設に入りスクラップ工場で働く中、外国人技能実習生への暴行や母のカルト教団への入信など種々の問題に自分なりの正義感で立ち向かう。世の不条理に毅然と立ち向かう劉に鼓舞され、自分の責任に向き合いたいと立ち上がるも、殺人者のレッテルやそれ故の立場の弱さ故に状況は一向に好転しない。そんな中、劉が松本社長に目をつけられて中国へ送り返されそうになり、劉は松本を殺害する。
松本の葬儀で何かに吹っ切れた一馬は斎場で暴れ、それまで不遇に耐えてきた従業員も一馬に続いた。帰りに実家に顔を出すと、母が宗教団体の桃園誠、さくら子と鍋を囲い、見たこともないような笑顔を見せていた。一馬は台所からこっそりと包丁を持ち出し、かつて母と妹と笑い合った思い出の海へ向かう。自らに包丁を突き立て腹を裂き、血を噴き出しながら海に崩れ落ちた。


父がいない間は絵に描いたような仲良し家族だった。そんな母と兄妹の3人が海で遊ぶ描写があった。一馬の作中唯一の親友である劉と初めて一対一で交流を深めたのもまた海だった。
松本を殺した劉と最後に会ったのも、一馬が腹を斬る最期も、海でのことだった。
海の場面の尺は短かったけど、個人的に海が印象に残ってる。

三野龍一監督に海に思い入れがあるのかと聞いてみた。
思い返すともっと聞くべきことあっただろと思うけど、それでも三野さんすごく重要なことを教えてくれて、対比を描いたと言っていた。というか三野さん海が好きらしい。加えて半田さんが、海は母親のような場所で愛ある場所だというような見解を述べてくれたと思う。

更生施設のベテラン職員の近藤が、施設の入居者のことを陰でゴミと罵倒していた。そんな彼らが働くのもまたスクラップ工場。上に立つのは言葉でも体でも部下を暴行するうんこ瀬川さんに、欲まみれで人を人と思わぬ林や松本。
そんなゴミまみれな人間の住み場所に対して海は、清らかで平等で何も求めない。ただ全部波で包み込んでくれた。


対比といったら、石川一馬には半分共感しながらもう半分は恐怖心を抱いた。半田さんに言ったら、見る角度によって善にでも悪にでもなるというようなことをおっしゃってたっけか。それもそうだな。対比というか、二面性ともいうのかな。
一馬の正義で父を殺したけど、殺人者の家族として家族を苦しめて母は廃人同然になり、一家は離散した。
母をどうみてもやばいカルト教団から引き離そうと妹に土下座して協力を求めてまで努力したけど、母には"救い主様"に身を委ねるのが幸福でむしろ"鬼子"一馬を心の底から拒絶していた。ちなみに桃園誠役の木ノ本嶺治さんが言及していたけど、桃園は詐欺や搾取などではなく本当に由紀子の幸せのために動いていたらしい。最終的に由紀子を「お母さん」と呼んでいたところでは本当の母親のように思っているとの木ノ本さんの見解。やべえ桃園の2人怖すぎる。
他にどうする道があったかとは思うけど、それでも一馬の正義(劉のおかげで勇気を持って、自分なりに責任を果たすために遂行した正義)は結果的に大切な人を壊した。

まどかにエゴだと言われてしまったのが全てか。一馬視点だったし一馬への同乗の余地でいっぱいだったからそりゃあ共感するしがんばれと思うけど、悪く言えば独善的な正義に邁進する一馬の表情がたまに怖いんよな。ふとした時堺雅人っぽいけど。


第三者の目には結果だけしか残らないのはまじで怖いし憤りを覚える。一馬はよくぞヤケ起こさずに耐えたなと思う。
石川家の近隣住民や工場の連中には、せがれが父親を撲殺したという結果だけ残って、その父親がパチンコに有金全部を注ぎ込んで妻子に八つ当たりして最悪こちらが殺されていたかもしれなかった背景には見向きもされない。
更生施設の近藤や西野には、殺人犯石川が松本に反抗して1週間出勤停止にされたという結果だけ残って、松本のベンツに傷を付けられた件について直前に松本に盾突いた劉を私刑にかけようとしたのを守ろうとした背景について聞く耳を持とうとしない。

てか三野さんは「結局はフィクションだから酷いことできてしまう」というようなことをおっしゃってたけど、頼む限度あってくれw
フィクションにマジになって申し訳ないけど、早くうんこ瀬川さんをその手に持ったハンマーでカチ割ろうやって思ってたし、早く桃園と西野を刺せって思ってたわw
瀬川は下っ端を追い詰めることにばっかり頭使って、「誰も初めはわからないから自分で考えてみろ」とかいう何も繋がってないクソロジックで以って新任リーダーの劉を何も助けん。西野は私は施設の入居者に寄り添って懸命に更生を支援してますよみたいなツラしやがる割に、一馬の出勤停止の件の表面だけ見て勝手に失望しやがる。あと桃園は本能的に怖〜い!!桃園でもう1作サイコスリラー撮れるて。

まあたかがいち視聴者の俺の嫌悪感は置いといて、そんな人たちに翻弄され続けた一馬のこと。
自分なりの正義を守り通して、守った正義に見放され続けて、この一馬という哀れな男はジョーカーみたいな者になるのかなと思ってた。松本の葬儀で暴れ出して、虐げられ続けてきた下っ端仲間に「せっかくの人生ちゃんと生きろよ!」と発破をかけて皆が彼の後に続いた時、とうとうその時が来たかと思った。
で、ならなかった。帰り道で自分の境遇と真逆な仲睦まじい家族を見かけた時に今度こそかと思ったけど、やはり襲撃したりすることはなかった。


三野さんが「自己犠牲」というキーワードを出していた。この一馬は、結果は別として、本当に最後まで根っから正義の男だったんだ。初めっから鬼役を引き受ける自己犠牲の男だったんだ。
そりゃあ当然、行動の結果だけしか見られなかろうが、ヤケを起こして瀬川をカチ割ることも桃園だの西野を刺すこともましてや知らん家族を襲撃することも、一馬の選択肢にすら挙がるわけがないのか。鬼になるのは母や妹とかに福を引き入れる時だけなんだ。

もしかしたら最期のハラキリも、人殺しをも辞さない誰かのための正義の一環だったんだろうか。武士だ。というか礼服タバコ包丁の組み合わせカッコよすぎるな。よくよく思い返したら礼服にタバコまでだったら『コンスタンティン』でキアヌもやってんのか。そりゃかっけえよ。
乱暴に言うと、一馬にとっての世界の全ては劉と母と妹だった。劉とはどういう形かはわからないけどお別れしたことに加えて、母にとって"鬼子"の自分はむしろいない方がよくて、しかも妹にはようやく普通になれたからもう人生に入ってこないでほしいと言われた。
そうなると、なんというか、一馬の存在意義は0-1-1=-2ってかんじになる。
自分の大切な人にとって自分は存在すべきでない者であることを痛感した。故に一馬は、母や娘の幸せのために再び正義を貫いて自らを殺害したのかなと想像する。

そんなことを思うと、社会的には厄介者で家族には拒絶されて一馬に殺害された父と一馬自身が重なって見えてくる。残念ながらどこまでいっても親子なんだな...。


誰かのために行った正義が、その因果が巡り巡って将来的にどこにたどり着くのか、ましてや望んだ結果に繋がるのかなんてわからない。まさに「鬼が笑う」だ。


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【2022/08/20追記】

もう一回観た。
正しくは、松本の葬儀で一馬が「僕は悪い人間です」と呟いた心境が気になりすぎてヒントを求めに行ったのが半分で、もう半分はミーハー心でサイン会に行った。
意思疎通そっちのけで言いたいことを放り込む、オタクの早口語りが出てしまった。大変申し訳ない。サービス精神から生まれました、みたいな皆さんに大変よくしていただいた。

一馬の逆境がキツすぎてすっかり頭から抜け落ちていたけど、葬儀の場面の遥か前に飲み屋でも劉さんに「僕たちは悪い人間です」と言っていた。「たち」が付くか付かないかしか違いがなかったと思う。これは何かありそう。
個人的に想像したのは以下の通り。つまり劉さんに言った時は、確かに自分は社会的・客観的には悪人だが、母と妹を守るための正しい行いだったという信念があった。葬儀の時は、妹にエゴだと言われ、大切な人のため身を粉にしてきた信念が揺らいでいた。要は「悪い人です」という言葉が表面的だったか心からのものだったか。
半田さんが語ってくださったのは、以下の通り(俺が無駄に緊張してて正しく理解できてたかは微妙だけど)。劉さんに言った時は、説明が難しくて言葉を探して絞り出した「悪い人です」だった。葬儀の時は、その言葉が呪詛のように巡り巡って、人を殺しているという事実が重くのしかかっていた。確かに劉さん相手にはめちゃめちゃ言葉を探してたな。なぜ俺はこういう間を大切に受け取ることが苦手なのか。
なんにせよ、自ら発した言葉に毒される。これもまたどう巡り巡るかわからない因果だなあ。

というか葬儀の時の「僕は悪い人間です」はアドリブらしい。何その技術凄すぎる。いやまじで凄すぎるて。。


ちなみにもう一つ半田さんの話だと、風呂場で浮いてたのはまじでずっと息止めてたらしい。イーサン・ハントもびっくりだな。3分くらいって言ってたっけか。体感では悠に10分を超えてたけど。三野さん曰く、あの間によっていろいろ考えを巡らす時間が生まれるのだと。たしかに何やってるんだろうとか死んでんのかなとかその後どういう展開になるんだろうとかそもそも誰だとかいろいろ考えが渦巻いたな。


更生施設でトムとジェリーが流れてるのがちらっと見えた。ジャスパーとジンクスだった頃の『PUSS GETS THE BOOT(邦題: 上には上がある)』かな?トムが左瞼でジェリーを持ち上げて眼球殴られるところと思ったけど、そんなに絵古かったか記憶に自信ないな。まあそんなことはどーだっていい。
三野さんトムとジェリー好きらしい。なんか超嬉しい。で、大の大人たちが集まって無でトムとジェリーを観る異様な後ろ姿を撮ろうとした、とのことだったかな。たしかにあんなに暗いトムとジェリーは初めて見た。


あと、まどかさん。エゴだっていう言葉がより重く感じた。一馬の正義の独善性という面がより明瞭に見えたというか。

まどがの娘さんが一馬を見て「お母さんのお仕事の人だ」って言ってたのきつすぎる。まどかがそう教えたっていうことか。そんなに兄と縁を切りたかったのか。
一方で一馬、1回目に観た時は、劉さんに鼓舞されて自分が持てる責任というのを健気に果たそうとしている、痛みを伴いながらも明るい場面に見えた。でも2回目に観ると、まどかの家族の前でまどかが思いっきり動揺している姿を見せて、子供に心配をかけさせて、いい迷惑っていう側面が色濃く見えた。

正義とか正しさと対立するのはもう一つの正義とか正しさだと聞く。一馬が対立して立ち向かって挫こうとしていたのは、もう一つの正義だったのかな。
悪い宗教に騙されているかもしれない母を守ろうとして、由紀子の幸せを願った桃園の正義と対立した。同じく、やっと手にした"普通"を守りたいまどかの真っ当な気持ちを挫いた。もしかしたら葬儀で林が松本について「誰にでも優しくて従業員皆から好かれていた」みたいに言ってたのは本心で、なんならそもそも父親だって彼なりに家族のために働いてパチンコの金も誠実に返そうとしていたのかもしれない。(単に俺自信、純粋な悪意だけで動ける人間は存在しないと思ってるからそう見えるのかもしれない。)

一馬の正義は、誰かの正義を犠牲にして誰かの正義と衝突していたんじゃないか、というのが2回目の感覚。
まあとはいえ、父親があれならやっぱり俺も遅かれ早かれ金属バット振り下ろすかもなあ...。


自分の力ではどうにもならないというか、何も守れないみたいな苦しさは実際誰にでもあり得ると思うけど、自決という辛さは本作を通して既に一度体験したから、みんなは一馬と同じ結末を選ばないようにしてほしい。というのが、半田さんが重ねておっしゃっていたところだったか。
たぶん一馬は、母や妹を守るために寄り添うっていう正義を、離れるっていう正義に曲げることができたのはよかった。でも、まどかみたく他人として生きることを選べなかったのがまずかったのかなあ。

顔の下半分で笑って上半分で泣くっていうえげつない表情の歪み方するくらいしんどくても、俺はきっとしぶとく生きよう...。
じゅ

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