まりぃくりすてぃ

叫びとささやきのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

叫びとささやき(1972年製作の映画)
5.0
正解な映画。ずっとタイト。そしてリアル。

とりあえず、“そのまま絵本”な風景数枚でスタート。いつも思うが、イングマール・ベルイマンの創るオープニングって、どんな物語へもどんな秀作性へもつながっていけそうな巧さで膨満してる。。。
おや? こういう室内?
容赦ない色彩! なんだけど、このブラッディレッドとナプキンホワイトの徹底コントラストが、私には全然苦痛じゃない。(吉祥寺のカフェロシアでしょっちゅう食事するせいかな?)
日記の文字、美しかった。
画面にクギヅケ。ずっとずっと。
顔のアップショット率高し。応えて俳優たちは、例えば仰臥の目つむりだけで語れてる。若くもない人々の、ヌードな唇をこんなにしげしげと。。。
圧巻第1号場面は、鏡に映りながらあれこれあれこれ男に言われ続けて言い返すところ!

さて、白薔薇効果が無限大だったせいもあって早々確信したけど、赤白以外の色彩選択はありえない。当然のごとく暗転がすべて“赤転”。許せる赤が、いつしか、身を任せたくなる赤に。胎児の頃にもこんな赤ばかりを見てた私たち??
これだけたっぷり赤ばかりだから、途中で男の胸からの出血を見ても当然私はびくともしなかった。(のちの、もっとひどい血のとこも平気平気っ。)
あらためて言おう。赤祭りの赤遊びの映画のはずが、「赤の本気」になってる!
喘鳴よし。安楽死させてあげなよー、そのドンブリバチに吐くの? よし、赤いの吐けーっ。だが、喀血はなかった。(演技はよいけど、そこんとこ死相が出てない。クマとか青白さとか欲しかったかな。)
ともかくも、看取りの尊厳映画に全体がしっかりなってきた。

そうして死者への、神父らしからぬ言葉が鮮やかに充実。「神と話してほしい。私たちみんなのために祈ってくれ。人生の意味を知り、長い試練に耐えたおまえの言葉なら、神は聴いてくださる」・・・
喪服の長女、初の口紅。そしてまた“赤転”。
真っ赤部屋にさんざん(長時間)居続けておいて「妙に懐かしいこの家。でも、今にも何か起こりそう」なんて三女さん、今さら白々しい(いや、赤々しい)のよ(苦笑)。「息もできないほど苦しくてたまらない。ここは地獄」。ふーーん、じゃあどうするの?

終盤こそが圧巻・圧巻・また圧巻。どこでエンドにしても悪くないぐらいのハイテンションどろどろ人間絵図のまとめ感が“赤転”の繰り返しで続く。死に損ない(生者)たちの、潔いぐらいの生臭さ。家政婦の母性・悲哀・泰然。
神なんているわけない地獄世での、「人間同士の愛憎、から一歩も逃げない。そこにすべてあり」。これが人生かけた思索の到達点になるのは当たり前。真実だもん。
そう、────────人がどんなに祈ったって神は聴かない。神はいない。でも、人は弱いから、いないとわかっていても神についつい頼っちゃう。そして神が答えてくれた気がしても、沈黙の仕打ちを受けても、その後の最後の最後に人を真に救うものは「人間同士の愛」。でも、待ってるだけじゃ愛は来ない。自分から愛していかなきゃ愛は得られない。じゃあ、その愛って何? 愛はもちろん欲望じゃない。自分を(いっそ命まで)与え尽くすこと。でも、それができれば誰も苦労しない。和解も調和も大抵できずに人は喰い合い、散り散りバラバラになってゆく。が、それだけで終わるわけでもない。終わりたくないし。結局、「人間同士の愛憎/生存競争の中での苦楽」に一人一人がどう向き合って生ききって死にきるかがすべて。。と、私は考える。今のところ。
「叫びもささやきもかくして沈黙に帰した」………………真実にちゃんと届いてることで大正解映画となった本作には、一つの欠点もないと私は認めちゃう。


ところで、、、、観てるあいだは全然平気だったけど、観おわって15分ぐらい経ってから、動悸がしてきてクラクラッとなって恵比寿ガーデンプレイス内で倒れそうになった。