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無限のサッカーの河のレビュー・感想・評価

無限のサッカー(2018年製作の映画)
4.8
サッカーでの怪我の経験で、サッカーのルールや基準は根本的に怪我を引き起こすものになっているって問題意識を持って、新しいサッカーのルールを考える人のドキュメンタリー

サッカーのルールによって骨折してから、社会主義体制下での労働で痛みに我慢しながら6時間歩いて帰ったり、テロ、欧州連合参加などで転職の機会を失って、それによってルーティンワークを強いられているとか、ルーマニアやアメリカ、EUっていう体制側の都合で人生を踏みにじられてるような個人史を持っていることがわかって、サッカーの現状のルールをそういう体制を代表するものとして否定的に見ていることがわかる

さらに、そもそもいいルールを考えたとしても既存のルールにはFIFAとかの権力の後ろ盾があるからそもそも変えることは不可能 そういう状況下で、ある種自分を体制に対する革命者、スーパーヒーローとまで自己肯定し始める

ただ、そのルールを考えていくにあたって、最初は流動的な人の移動と密集の禁止が暴力の抑止になるとして考えるけど、オフサイドっていう既存のルールとの食い合わせがわるい、オフサイドはボールを前に進めるためのルールで、新しいルールだとどうしてもボールが前に進まないか一方的に進む、その問題と取り組むうちにその問題が目的として、次第に最初の目的とすり替わって、ボールの自由を最優先するっていう理念に行きついてしまう

なぜボールを優先するかっていう理由が、観客、メディアは選手ではなくボールを追うからっていう、見せ物的な目線、ファシズムがマスメディアを利用した時とほとんど同じような理由になっている

っていう感じで、最初はサッカーをより良いものにしようとしてルールの変化を求めた人が革命者的、ファシズム的になっていくっていう、おそらくルーマニアの体制をなぞってるであろうドキュメンタリーになっている

ただ、結局理論的には明確な欠点がありつつも、運用するものとして見ればずっと改善されつつ使われてきた既存のルールが適しているからそれ以上のものを考え出すことは難しいし、そのルールには利権、体制もできあがっているから変えることも難しい

そして、最後に再度最初のモチベーションが繰り返されるとともに、プラトンの調和を目指す啓発的な考え方が、封建社会に都合の良いように暴力を正当化する形で落とし込まれて聖書に落とし込まれて利用されてきたっていう歴史に触れる

ユートピア的な考え方が排他的な社会につながる可能性、そもそもそういう考えは結局封建社会の養分になるだけじゃないかっていう諦めのようなもの、それを表すようなのろのろとした映像、でも逆に考えれば最初はユートピア的な考え方、調和を目指すところから封建社会は始まってるって考えることもできるようなスタッフロールに向かうまでの映像で終わる

その人の個人史を通してサッカーの新しいルール作りをルーマニア含めた世界の直近30年あたりの歴史と接続して、さらにはプラトンからキリスト教による封建社会の成立まで歴史的なスコープを広げて、そもそも社会を成立させてるルールや基準の本質とは何か、それに対する諦めとそれでもユートピアを志向する姿勢のようなものが入ってきて、サッカーのルールを考える人のドキュメンタリーとは思えない深さと広さのある映画になっていた
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