針

オッペンハイマーの針のネタバレレビュー・内容・結末

オッペンハイマー(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

3月下旬はコロナで寝ておりましたが気を取り直して。

念願のオッピーの映画をやっと観れました。
自分の感想としては、映画の作りがエンタメチックで見やすく、オッペンハイマーという題材の取り扱いも好感が持てるし、特にトリニティ実験以降の“圧”がすごくてもろもろ良かったのですが、では完全に乗り切れたかというと微妙な部分もあったなーというのが正直なところ。ちなみに自分はノーランも初心者です。
以下長文なので、ご興味ある方はてきとうにつまみ読みしてください。

●先に自分の個人的な前提を
歴史が全然分からないとしょうがないかなと思い、去年の夏に藤永茂という方の『オッペンハイマー』(ちくま学芸文庫)を予習で読みました。おかげで時代背景はよく分かったのですが、「二分法で安易に断罪しない」という藤永氏のオッピーの捉え方はノーランのそれとけっこう近くて、映画版もおおむね知ってる「物語」だなーと思いながら鑑賞。ゆえにそこまで驚きはなく。逆に予習のしすぎだったかも。しかしあらゆる事件や人物を既知のものとしてビュンビュン飛ばしていくタイプの映画だったので、何も知らないとそれはそれで難しかったろうという……。
映画の原案はカイ・バード&マーティン・J・シャーウィン著の『オッペンハイマー』(ハヤカワ文庫NFで上中下巻!)だそうですが、してみるとそちらの「物語」も藤永氏とおおむね近くて、ノーラン含めて三者ともけっこう似た観点からオッピーという人物を解釈したのかなーと勝手に想像。

●感想:よかったところ
3つの時間軸を高速でシャッフルしながらノンストップで進んでいくエンタメ伝記映画というのが第一印象。自分の体感では3時間があっという間で、予想以上に楽しかった!
構成としては一応、①青春期から始まって原爆開発という一大事業を成し遂げるまでのオッピーのメインストーリーを、②聴聞会という責め苦の状況から振り返るパートと、③それを仕掛けたストローズという他者の目線から冷徹に眺めるパートのふたつで補強しながら語っていく、みたいな感じでしょうか。映像的にも、①はたぶん普通に近くて、②は画質の荒い古っぽい映像、③は白黒という形で変化をつけてたような。
前半も社会運動に入れ込んだり不倫をしたりと忙しいのですが🥰、本題はやはりマンハッタン計画で、トリニティ実験のシーンはさすがに圧巻。爆破の映像を無音で見せたあと、少し遅れて爆風&爆音がやってくるという感触をじっくり描いていて、ここはさすがによかったなーと(しかし原爆描写に詳しい方によると、どう見てもガソリンの爆発にしか見えなくて微妙だったりもしたそうですが💦)。
「物語」的にとらえるならオッピーの人生における頂点はここで、原爆開発に成功したその瞬間からもう彼には何の裁量権もなくなり、自分の作ったものがあれよあれよという間に手の届かないところに行って使用されてしまうという、この流れが何ともやるせなくて良い感じ。さらに、それまで小出しにされていた②と③のパートは後半がまぁ本番で、場面の切り替え速度がどんどん速くなって互いのテンションが交錯していくところがこの映画で一番面白かったところ。
オッピーが聴聞会で攻められてる内容は、彼の共産主義への接近とか情報取り扱いの迂闊さとかなんですが、それが同時に彼にとっては、原爆を開発し罪なき人々を大勢殺戮する結果につながったということに対する罪責感を問いただされる場面にもおそらくなっていて(聴聞会のシーンが白い閃光に包まれるというのはそういう意味だと思う)、そこの迫力がちょっとすごくて何も言えんなぁ……という気持ちにさせられました。
あとはラストの締め方もいいかな。あれほど成功を喜んだ核実験も、結局は人類が一瞬で滅亡しかねない時代への扉を開いただけだったという。そしてそれはオッペンハイマーにも責任があるけどもはや彼個人ではどうにもしようがないほど巨大な状況であって、映画の幕切れとともにオッピーという個人の物語は終わり、そこから現代まで連綿と続く核兵器による相互牽制の時代へとつながっていくような終わり方がいいなと。
もちろん原爆開発においてオッピーに責任がないとは言えないけど、だからといって彼個人にすべての責任を帰することができないのもまた自明だろうと。それこそストローズらの策謀によって彼の手出しができなくなった場所での意志決定によって水爆開発が推進されたように、その後の核時代の進展は無数の人間&共同体の意志の絡まり合いによるもので、振り返って見るならば彼はその引き金を引いただけの人物に過ぎなくなる……。
まぁ上に書いた藤永氏の本のまとめ方がそういう方向だったというのも大きいのですが(≧∀≦)、自分個人としてもそれがバランスの取れたフェアな捉え方なのかなーという気がします。んでノーランのこの映画にもそうしたアンビバレントな価値観を白黒はっきりさせないままグチャッと差し出してる感じはあって、そこは好みだったなーと。
……ということで自分的には総じて後半がよかった映画でした。
(あとこれは自分だけかもしれませんが、ベニー・サフディ演じる水爆開発者のエドワード・テラーがまさしく自分が思い描いていた通りのテラーだったのでよかったです。主要人物以外はだいたい切れ切れにしか画面に登場できないなかで、一番分かりやすく存在感を主張してる人物でもあったかなーと)

●感想:やや微妙だったところ
・時間軸を交錯させながら画面を止めずに展開していく編集について。リドスコの『ナポレオン』でも似たことを思ったのですが、これって諸刃の剣でもあるよなーと。冒頭にも書いたとおり、ワンシーン/ワンエピソードごとに立ち止まらずビュンビュン進んでいくこの作りは体感が非常に楽しくて時間を忘れさせてくれるし、題材の重みに対してとても取っつきやすい映画として仕上げられている最大の理由だと思う。ただその分、人物描写や人間ドラマを語るという点ではやっぱりちょっとせわしなさすぎて、ある程度ひとところに立ち止まってじっくり見せるタイプの演出と比べるとどうしても厚みが足りないかなとは思ってしまいました。もっともこの映画はそこらへんを、キリアン・マーフィーやロバート・ダウニー・Jr.の演技がある程度カバーしてるようにも見えたのですがそれでも……。
・特に前半に多く挿入されている、物理学の視覚的なイメージ映像(青とか赤とか黄色のピカピカみたいな画面)は、人間ばかりの絵面にいいアクセントをもたらしてるし、オッピーの夢見る物理学の神秘みたいなイメージなのかなーと思ったのですが、映画全体にうまくなじんでるかというとやや微妙かも。もちろんこれは映画なので「見せる」ためのシーンは重要だと思うのですが、逆に言うとそれ以上のものにはなってないかもなーとは正直。

●感想:一番気になったところ
・これは自分が悪いのかもしれないけど、副主人公であるルイス・ストローズという人物にも彼の物語にも、全然ピンと来ませんでした……。
予習のおかげで名前は覚えてたのですが、それがどういう立場の人間かはまったく記憶になく(予習の意味無し)、ゆえに彼のパートが何をやってるのかが後半まで殆どよく分からず。
一応、それまで並行して描かれていた聴聞会が、実は彼主導による陰謀だったことが後半で明らかにされるみたいな構成なのかなと思ったんだけどこれはどうなんかなぁ。ストローズをちゃんと知ってるお客にとってはそれは元々自明の話だし、逆にストローズがよく分からない自分みたいなお客にとっては「だから何?」となってしまいそうですが……。

自分が見た限りでのストローズの作劇上のメインの役割って以下のふたつな気がします。
①オッピー目線では部分的にしか見えてこない彼の傲慢さや無神経さや自己中さを、他人目線から明らかにすること。
②しかしラストで、オッピーはそんな人間関係の怨恨などという小さなことよりも自分の物理学の延長線上での罪について考えていたことが明らかになることで、ストローズに代表される卑小な人間ドラマは価値を失い、もってオッピーの立場が底上げされる、みたいな効果?
……ただ正直、たとえ史実であったにせよ、ストローズが聴聞会を仕掛けた理由がオッピーに対する個人的な怨恨に端を発していたことが明らかになるくだりはあまりにアホらしすぎて拍子抜けしてしまいました……。
これは前半で描かれるオッペンハイマーの不倫描写とも通じるところがある気がします。これもまたストローズ目線でのオッピー描写と同じく、彼の人間的なだらしなさやイヤさを描くエピソードだと思うんだけど、しかし彼にどういう性格的な欠陥があったにせよ、それと原爆開発とは全然位相の異なる問題じゃんとは思ってしまう。そのことはこの映画自体もラストでストローズを突き放すことで自ら語ってる気もするのですが、そもそもそういうエピソードを俎上に乗せたのはノーラン自身なわけだから、なんか釈然としないかなと。
このへんのいかにも人間的で、わるくいうと下世話な切り口は映画全体にある程度の取っつきやすさをもたらしてるとは思うんだけど、ちょっとウェイトが大きすぎて不必要にくだらなさを高めてしまってるような気が自分は正直したかな……。(ただし内容把握がいい加減なせいでこう見えてる可能性はあるかも)
それとこれも好み次第ですが、たとえ現実もすんごくイヤーで卑小な人間だったとしても、この映画のストローズの描かれ方はちょっと薄っぺらくはないでしょうかね……。これほど大きな役柄の人物にしては描かれ方が単純すぎるような。主人公であるオッピーの人物描写の波打ちっぷりと並べてみると余計にね。

●爆心地の直接描写がないことについて
一応自分の考えを。結論から言うと別にこの映画には必須ではないだろうと思いました。講演会の聴衆が白い閃光に包まれるという幻影と、爆心地のスライドを見て耐えきれずに目を伏せるという形で、物語上必要な「オッペンハイマーにとっての原爆投下」は描かれてると思うので。
ただまぁ日本人として観た場合に、爆心地の描写があってもいいんじゃないかと思う気持ちは分からなくもないです。オッペンハイマーを主人公に、原爆開発とその後の核開発競争時代をテーマの中心にすえた映画ではあって、広島・長崎の占めるウェイトが比較的軽いのは間違いないかなと。オッピーの幻影をより凄惨にしたり、彼の見ているスライドを直接映したりするのも(描写の効果は変わるけど)ありだったかなーとは確かに思う。
ただしそれは、この切り口の映画だからやっぱりしょうがないところはあるかなと。その描写がないという一点でペケにするという感じでは自分は観れなかったし、それに「この題材ならこの描写が絶対必須」みたいな方向を押し進めていくと、ゆくゆくは表現の幅も狭めていきそうな気がします。

……という感じでえんえん書いてみて思ったことは、自分はなんとかこの映画のテンポに振り落とされずに済んだと思ってたけど実はところどころ落馬してたということです……。細かい部分が全然きちんと思い出せないので、そのうち配信で見返したいところ。ストローズに関する部分が完全に思い違いとかだったらごめんなさい🙏
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