肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

BLUE GIANTの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

BLUE GIANT(2023年製作の映画)
4.4
JAZZというその「激情」のサウンドを知るとき
3年間でひたむきに展望を見据えて努力した天才とそれをサンドする幼い頃から長年も歴を重ねた秀才と主人公と同じく一切音楽に触れてこなかった凡人の新生10代JAZZバンドの「触発」という名の群青と群像

同日2本目の映画館鑑賞でその日の調整で満足に睡眠をとってないのもあり、下手したら気づかぬうちに5分弱記憶がなくなるかもな…と嫌な予感がしていましたが、そんなの吹き飛ばすくらいギンギンですよw
サウンドとして熱いのがJAZZサウンドだ!という熱意は充分わかっていたものの、ストーリーとしても予想外に熱中させるものがあった!

勿論初日鑑賞(公開日意識してなかったw)で意気揚々とレビューしてないだけに、原作ファンでもJAZZミュージックも好みだけど、たまにサブスクで聞くだけで円盤コレクターでもないし、アーティストだってマイルス・デイヴィスとJAZZピアニストのインストゥルメンタル・アーティストを数名知っているだけのFANとも言い切れないなんとなく好きだな人民ですw
でもこの映画、そんな"初心者こそ相応しい"、"JAZZに触れる入門映画"でとにかく耳という感性に訴えかける「ソウルフル"エモ"アニメ」です。
ハリウッドよ、かなりの日本人が良さをわからず、素通りしてきた『ソウルフル・ワールド』を評価したのなら、それを"奏でる魂の映画"も素通りするのか…?なんちゃって。(別段アカデミー級として讃えるべきと言ってるわけじゃありません)

そして大きく勘違いしてたのは、この映画、「世界一のジャズプレーヤーになる」を掲げテナーサックスを携え世界に飛び込む宮本大のセルフ・オンリー(一人)旅の話じゃなかったんですねw
そしてこの映画はおそらく、漫画原作内の「序章(第一章)」の話で"通過点"であり、「ボーイズ・バンド」の映画であり、偉大過ぎる「青春の一ページ」を描いた話であるということです。
この話に成り行きとしては、あまり出来過ぎな面もあるので、(自称)JAZZ玄人からすれば下手をすれば「JAZZ界を舐めている」という見られ方もあるかもしれないです。
ただ、そんな整合性やリアリティを凌駕した"熱いモノが込み上げる"、引き上げてくれる"カリスマ"を描いているのも事実。

なんというかこの映画の描き方は原作とちょっと違うのではないかな?というくらいあまり"主人公に焦点が当たっていない"ように感じたんですよね。結構勇気のいる描き方をしたんじゃないかと…
勿論、音楽面では彼のサックス演奏が"台風の目"としてJAZZ界に新しい風を吹き込み、彼の熱いパッションがサックスに吹き込まれるのをこれでもかとミュージックシーンで表現しています。"圧巻の演奏"と"JAZZの概念をブチ壊す"の両面を兼ね備えて新鮮に感じる観客の方も多かったのではないでしょうか?

でも物語としては"主人公はほぼ「完成体」"なんですよね。
サックス奏者、JAZZプレーヤーとして"プロ並み"を叶えた形で登場しちゃうんです。驚きですよねw
勿論なんの努力を重ねてないわけでもなく、高校生活の「3年間」を影響を受けたサックスプレーヤーとして"全てを捧げる"勢いで努力した回想を"サラッと"と走馬灯のように描かれます。その"序の序盤"を「修行回」を大事に描かないってのは、劇場版ならではだし、非常に"現代"なりの描き方をしてるのではないかと思われます。

ほとんどアニメで言うと転生系の"なろう主人公"や「ワンパンマン」みたいな描かれ方でJAZZプレーヤーとしては、トリオバンドで一人何歩先をも突っ走っている状況を描いたものなんですね。

だから焦点、"葛藤"に曝されるのは主人公というより、トリオバンドをオール十代で組むことになるあとの"二人"なんですよね。これが面白い!
ある程度の終着点というか大目標として日本のトップJAZZクラブに招待されることを夢に掲げた、幼い頃から下積みがあり驕りも入ってるピアニスト。主人公大と高校時代同級生でバンド等の音楽活動に一切触れてこなかった"ド素人"の友人兼大の仮住まい主。
この2人が大に「感化」や「触発」を受けて"引っ張り上げられる物語"と捉えてもらって間違いない映画になっていると思います。

原作漫画というだけに、音楽を紙面で飾るという"原作の偉業"あってこそですが、バンドアニメも定期的に、てか去年も『ぼっち・ざ・ろっく!』があるように"一からオリジナル曲を想像する"という難易度の高いアニメ制作を行っていると考えれば、この映画もそれなりの困難に塗れての制作だったものと思います。
原作ファンが多い音楽漫画、(自称)JAZZ玄人もある程度の割合を占めるでしょうから、イメージの合わない、拙い演奏だったりしたら即炎上モノの世の中でしょうから、相当の気合いを込めてのアニメ化の発足だったのでしょう。

それでさらに難しいのは、演奏中の"演出とバリエーション"これもなかなかの苦慮があったんじゃないかと、原作未読なりの下手な勘案を巡らせながら鑑賞しておりましたよw
最初低クオリティに見えるCGモデリングで演奏情景を描くのか!?と嫌な予感が先にきましたが、サックスもそうですが、ピアノの演奏という"繊細な動きの極み"をより現実的に表現しようと思えば"モーションキャプチャー"で実現させるというのも至極当たり前で納得していったんですよね。
JAZZ演奏ということもあり、上からのスポットライトで影の濃淡を浮かび上がらせる"白(Y)シャツの渋さ"ってのもCGの違和感を上手く誤魔化せるいい味を出したってのもありますしねw わかっておりますよw(勝手な悦)
そうした退屈な演奏演出にさせない"試行錯誤"が窺えるのも新鮮味があって楽しくも考えさせられました。

"ヒューマンドラマ"を描く上でちょっと繋がりが薄かった練習場を貸してくれたバーのママの(うっ…涙(´;ω;`))の演奏の反応を写し過ぎて、それやるならもう少しハートフルな絡みを!と冷める部分がないわけじゃないんですけどね?😉

原作、前アニメで社会現象化して、再度最新技術で、違った人物の視点を中心に据えた事で再度社会現象化させた『THE FIRST SLAM DUNK』
それに並び、いや個人的に勝るという評価を下した「JAZZのはらわた(既成概念)をひっくり返す」スポーツモノに通じる"刺激と感化と触発"、つまりは他人との『影響』が新たに現実に余波を与えてくれるかも知れませんよ…!