公開時に見逃して今年中に観ておきたかった作品。まずこれだけ重いテーマを104分の尺に収められることが素晴らしく、まじで多くの監督に見習ってほしい。見せるべきところをかなり絞っている。それと男性に性暴力を振るわれるシーンが直接的に表されていなかったのが個人的にはとても助かった。そのことにより、この作品で何に重点を置きたかったかが明確になったと思う。
話し合うこと。語ることというより、限られた時間で答えを出すために話し合うということに焦点を当てていて、限られているとはいえ(そして尺も短いのに)性急な印象はない。また台詞の応酬が多く、薄暗い室内や納屋の中(メノナイトをモチーフにしたキリスト教の一派の集落という設定なので、電気などがない。ちなみに女性は読み書きもできない)がメインの舞台となり顔の判別をしづらいショットが多いにも関わらず、単調な印象もない。役者の演出や回想シーンのインサートも巧みで、且つ議論が交わされる二階建ての納屋に大きな開口部(窓でもないし扉も無い)があることも単調さを避ける要素になっているよう。銀残しのような色調の屋外撮影もよかった。
唐突に『デイドリーム・ビリーバー』を流しながら現れる国勢調査のトラクターで、これが2010年の物語だと示されるのもインパクトある。この曲がエンディングでも流れ大変皮肉が効いてる。
理想論と言われようと、意見をぶつけ話し合って解決に導くことに希望を持ちたい派なので、本作におけるサラ・ポーリーの提示の仕方はとてもいいと思った。しかしここで話し合う対象に男性を介在させなかったことの意味については、いま一度考える必要がある。ベン・ウィショーを「知性のある男性」として、物言うことを許されない記録係として配置したこと、集落の中でほかの女性と同様にレイプされ場面緘黙となったトランス男性がつねに女性たちの味方であったことについても。