櫻さんの映画レビュー・感想・評価 - 2ページ目

スウィート・シング(2020年製作の映画)

-

こころが渇いてしまわないようにくちずさむ歌。叶わないことは想像の中だけ、色鮮やかに煌々と完壁な姿であらわれる。無いものが多すぎても、目を閉じて映されるそれを手本にして、手探りで力のかぎりしあわせを守ろ>>続きを読む

終末の探偵(2022年製作の映画)

-

懐かしいくらいタバコの煙が立ちこめる画面には、現代日本に存在しながら光の当たらない人たちがぎらぎらしながら映っていた。いつからか決められた線引きが、あちらとこちらをつくり、憎悪や嫌悪や利益のために争い>>続きを読む

の方へ、流れる(2021年製作の映画)

-

軽薄さに身をまかせる。わざと流されにいく。暇つぶしにしては遠回りして、嘘ばかりついて自分をつかめなくさせて。気の迷いから運命ってことにしてもいいけれどやめておこう。たぶんすぐ忘れてしまうこの温度感が心>>続きを読む

ノベンバー(2017年製作の映画)

-

これまでなにかを願い叶ったことと叶わなかったことを比べると、叶わなかったことの方があまりにも多い。この世に生を受けたものたちはすべて死にゆく運命なのだから、死を前にすればその願いなど、ちいさくて無いに>>続きを読む

乳房よ永遠なれ(1955年製作の映画)

-

とんでもないものを観た気がする。その身を蝕んでいく病に苦しんでも、拍車をかけてこころは強かに凛とし、むしろ欲情のおもむくままに、その日の一雫の生もこぼさんとする様に震わされてしまった。ひとりの女として>>続きを読む

冬の旅(1985年製作の映画)

-

モナのくせっ毛が風に揺れるたびに、いつまでも手懐けられないつんとした野良猫みたいだなと思った。誰と出会っていっとき共にいたとしても、時々楽しそうに笑っていても、人間のこころは流動的だからなんの保証もな>>続きを読む

アフター・ヤン(2021年製作の映画)

-

愛おしいと感じるのは、その存在がいつか居なくなってしまうからだ。永遠はきっと時間のことではなく、一瞬でも誰かとこころを触れ合うような大切な時間をすごしたその濃度のことをいう。ありがとうと言えるくらい前>>続きを読む

おくりびと(2008年製作の映画)

-

生と死はつながっているのだなと感じたのは、高校生のころに父が亡くなったときだったのだけれど、その感覚は歳を重ねるとともに、はっきりと強固なものになっていった。生きていると死が突然顔を出したり、死の先っ>>続きを読む

マイ・ブロークン・マリコ(2022年製作の映画)

-

人身事故があって電車が遅れたあの朝、多くの人が会社や学校に遅刻したんだろう。わたしはぎりぎり間に合って、何事もなかったかのように仕事をして、その日1日を終えたっけ。誰かが亡くなった日でも、何事もなかっ>>続きを読む

グッド・ストライプス(2015年製作の映画)

-

なにひとつ特別ではなかったけれど愛おしい日々だったのだと、このふたりが気づくのはいつなのだろう。ほんとうに愛おしいことというのは、その人にとって限りなく個人的なことで、こころにほど近く、誰にもさわれな>>続きを読む

LOVE LIFE(2022年製作の映画)

-

この世界にうまれおちて、まっさらできれいなままでは生きていられないのだと気づいたとしても、あなたに一等素晴らしいものだけを与えられるだろうか。祈りのように灯されたこの思いは、はかなくもすぐ消され、しば>>続きを読む

さくら(2020年製作の映画)

-

文章化されないだろうほとんどの人の人生は、想像に容易く、普通と呼ばれるありふれたものなのかもしれない。その普通の脆さを思う。平気そうな顔をして、わたしたちはガラスのような普通を生きている。幼いころの淡>>続きを読む

ベイビー・ブローカー(2022年製作の映画)

-

やさしく抱擁するようでも、そっと貸してくれる誰かの肩のようでも、片時もやめない祈りのようでもあった。

この世にうまれおちたものすべて。生きて存在するということを、たとえ何の役に立たなくても侵害された
>>続きを読む

気狂いピエロ(1965年製作の映画)

-

ひとは夢のようなものだから、永遠になんて縛られないで自由でいよう。わたしたちはほんとうはどこへでも行けるし、何にだってなれるし、誰とでもいられる。だからふたりは何も誓わなかったのだと思う。誓わなくても>>続きを読む

マルケータ・ラザロヴァー(1967年製作の映画)

-

かなしいほどに残酷なことと、かなしいほどにうつくしい存在とが同居していた。この世はまさにそんな場所で、これはその縮図のような作品だった。わたしたちは平気でひとを傷つけ殺めもし、そのかたわらで愛を紡ぎ、>>続きを読む

WANDA/ワンダ(1970年製作の映画)

-

彼女は雲のようだった。みずいろの空に漂うように、ここではないどこかという夢を見ることもなく、傲慢なつよい風が吹くほうへとむかっていく。自分にはなにもないのだと思わされているのに、まわりからの圧力や衝撃>>続きを読む

ナイルの娘(1987年製作の映画)

-

きっとわたしもその横顔をしていたころがある。孤独を目に見えるかたちにしたのなら、こうなるだろうと思わずにいられないようなそのおもかげは、かつてのわたしのように鮮明で、その所在のなさこそが自由なのだと知>>続きを読む

いまを生きる(1989年製作の映画)

-

無邪気にゆれる若葉のように、死のすぐそばで生きている。こころに映ったものを、たった今見つけた純粋な何かとして感じとり、溢れ出たほんとうの輝きを満たし、言葉という結晶にする。誰にもわかられなくても、ただ>>続きを読む

ペット・セメタリー(1989年製作の映画)

-

愛はきっとふかくてあついほどに血のように赤いし、大切なものほど抱きとめられずいつか消えてしまう。もういないということが、かつてここにいた存在をより色濃く刻むから、心にぽっかりと穴があくように、あるいは>>続きを読む

私、君、彼、彼女(1974年製作の映画)

-

かわりばえのない毎日を過ごしていても、わたしという存在はわたしであるという普遍。映像という日記帳が、ちいさな獣のようなわたしを捉え、他者という鏡に映ったとき、すなわちわたしがあなた(彼女)にすり替わる>>続きを読む

ニンゲン合格(1999年製作の映画)

-

人はどこから来てどこに行くのか、とずっと昔から疑問に思いつつも、曖昧な答えしか導き出せていないのはどうして。きみがどこかにいて、いつか時が来たら去っていくこと。死んだらどこにいくの、何を見るの。存在に>>続きを読む

パリ13区(2021年製作の映画)

-

みんな抱きしめられたがっている。自分の歪さや溝を埋めてくれるひとを探している。ほんとうの意味での愛が難しいことも、愛がひとの数だけあることも知っている。結局のところ、根底にある孤独は自分以外の他の誰に>>続きを読む

モード家の一夜(1968年製作の映画)

-

言葉に言葉を重ねて自分のほんとうから目を背けず、たとえみじめに思えても、みっともなくて苦しくても、真実をとらえつづけること。それができなくても、そうあろうとすることを選ぶこと。

降り積もる雪は、やが
>>続きを読む

リップヴァンウィンクルの花嫁(2016年製作の映画)

-

さびしさや諦念ともうまく手をつなげるようになった気でいるが、完全に大丈夫になったわけではない。ホルモンバランスや気圧の乱れのせいで、いとも簡単に大丈夫ではなくなってしまうけれど、それも嵐のように一時的>>続きを読む

ベルファスト(2021年製作の映画)

-

そこにはこんな愛おしくてあたたかく歪でやさしい物語があったのだと、モノクロームに染め上げられたベルファストという街がセンチメンタルに浸る。この作品の冒頭に描かれるベルファストでのほほえましい少年たちの>>続きを読む

アネット(2021年製作の映画)

-

とおくで多くから見つめられていた存在が、ひとつの固有の存在として、すっとその視線を自分からも放つことができるのだと示した幼い魂は、何周も宇宙をめぐってきたかのような強かさを宿していた。あのシーンはたし>>続きを読む

6才のボクが、大人になるまで。(2014年製作の映画)

-

ざらついた生地のバケツみたいな帽子とベビーカーの幌で守られても、ぎらぎらの日光は地面にはねて飛んでくる暑い日だった。最寄駅近くの銀行。マックのオレンジジュースの水っぽい味。ベビーカーを押す母と買い物を>>続きを読む

旅立ちの時(1988年製作の映画)

-

宿命という暗がりのなかで、それでも手を伸ばす様のうつくしさよ。誰かに見つかっても、見つからなくても、そこにあったという事実だけでよかった。永遠にふきけされない蝋燭の火のように、しずかに心に灯りつづける>>続きを読む

春原さんのうた(2021年製作の映画)

-

ぽっかりとした穴があなたとよく似た温度をしているから、わたしはそこに取り残されているようだった。開け放した扉。ただ通り抜けていく風は、頬をさすってかけていくだけで、わたしを連れていってはくれない。>>続きを読む

れいこいるか(2019年製作の映画)

-

あるとき突然点を打つような喪失がやってくる。それは"ここにいた"というぽっかりした穴となって消えていかない。どれだけ時が流れても、自分自身やまわりが変化しても、ずっと。かなしいことはつきないけれど、わ>>続きを読む

散歩する植物(2019年製作の映画)

-

今に不感症になるくらい忙しさにかまけて、ぐらぐら揺らぐこころの大地を見ぬふりして過ごすことも。繰り返す暴力と略奪を指をくわえて眺めていることも、凡庸な日常にひりりと沁みる悪意の投射合戦も。生きている人>>続きを読む

偶然と想像(2021年製作の映画)

-

住んでいるここでは夜、空を見上げても星のひとつも見当たらないことの方が多い。毎日、仕事を終えて帰路につく時、そこには暗闇をぼおっと照らす幽霊のような営業時間外の店の看板か街灯しかないのにほっとする。わ>>続きを読む

やさしい女(1969年製作の映画)

-

わたしとあなたは、まったく別の人間であり、街を探してもどこにもいない、名前なんてつかないふたりだったらよかったのに。わたしがあなたをひとりの人としてまなざしている時、あなたはわたしを女というひとつの種>>続きを読む

ひかりのまち(1999年製作の映画)

-

きみがひかって見えるのは、すこしずつ燃えながらかわっていくからだ。この地上を脈動とほとんど同じ速度で歩いていくことは、それすなわち誰も見ることのできない星座を描くことと等しいことをきみはまだ知らない。>>続きを読む

冷たい水(1994年製作の映画)

-

不確かさだけが存在するこの世界でどうやって風を起こそうか。羽が折れた天使たちは地上で戯れあって、炎のように刹那的に燃える。向こうからきたつめたい風がそれを揺らすから、驚いて虚勢を張る。乾く前に新しい傷>>続きを読む

さらば愛しきアウトロー(2018年製作の映画)

-

わたしの母から聴いた話だけど、祖母は亡くなる少し前に「この世に悔いはなんにもないよ」と言っていたらしい。自分は幼かったのでよく覚えていないけれど、記憶のなかにいる祖母をちりちりした粒子が舞う映像ととも>>続きを読む