ウシュアイア

最終兵器彼女のウシュアイアのレビュー・感想・評価

最終兵器彼女(2002年製作のアニメ)
2.0
ゼロ年代一世を風靡した"セカイ系"と呼ばれるジャンルの代表作。

北海道に暮らす平凡な高校生シュウジと幼さが残るドジな女子高生で実は自衛隊(軍)の最終兵器であるチセとのラブストーリー。

(以下、中盤までの若干のネタバレを含む)

タイトルからしてなんのこっちゃい、という感じだが、最終兵器というのは簡単に言ってしまえば戦闘用サイボーグで、ドラゴンボールに出てくる人間を改造してつくった人造人間17号・18号みたいなもの。敵が襲来すると、背中から羽が生えて空を飛べるようになり、体からミサイルなどが飛び出してくる。チセは元々子どもの頃から難病で東京の病院に通っていて、サイボーグ化しないと生きながらえないことや戦闘用サイボーグに向いた体質だったという事情があったらしい。

人造人間18号はクリリンと結ばれたというケースがあるので、そういうサイボーグ化されて強くなった女の子とのラブストーリーはあるっちゃああるだろう。そもそも『最終兵器彼氏』ともいうべき話はいくらでもあるわけだし。

しかし、この作品は平凡なDKシュウジが何も知らずチセと付き合い始めるところからはじまり、状況的に長く戦争が続いていたにも関わらず、そんなことを露程も感じさせない学校での日常生活が描かれ、何の説明もないまま突然の敵が襲来し、チセがシュウジの前で戦闘モードをさらし、兵器になった姿をシュウジに見られたチセは恥じらうそぶりを見せ、ギャグにもなりそうだが、いたってシリアスなトーンで話が進んでいく。

それに対してシュウジは何もできず、無力な己を自覚した後は、傍から見るとひたすらにチセが最終兵器である事実から目を背けるような行動に終始している。挙句の果てには、チセが戦闘に行っている間に他の女の子に手を出したりして、今のトレンドではシュウジは明らかに嫌われるタイプの主人公である。

そして、極めつけはびっくりするほど戦闘状態になった理由や背景も説明がなく、主人公は極限状況にも関わらず自分の身の回りのこととチセとのことしか考えていないのだ。これこそがこの作品の特徴と言ってもいい。

本作は”セカイ系”の代表作と言われ、”セカイ系”は、
「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」(Wikipediaより)
で、新海誠監督の『君の名は』や『天気の子』に見られる傾向という。

この作品を観て、総合するとセカイ系とはもう少し簡単に言うと
「主人公とヒロインの行動に世界の命運が託された状況、で主人公とヒロインは自分たちの恋愛感情を行動原理にして行動する物語」
もしくは
「世界や社会の破局的な状況を自分たちのラブストーリーを盛り上げるためだけの背景に使った作品」
とでも言えそうな気がした。

そして多くの人から「”セカイ系”はキモい」と言われるのは、リアリティのなさだろう。人間は世界が破局的・悲観的な状況になったら、社会や周囲のことを考えずにはいられない。そうなるとそこで描かれる日常やキャラクターの性格設定に無理が生じ、気持ち悪いと思われるのだと思うし、実際この作品を観てそんな気持ち悪さを感じずにはいられなかった。

セカイ系が今流行らないのは、やっぱり東日本大震災や新型コロナ流行を経て、極限状況で自分と彼女のことだけ考えて生きる物語が成り立たないということをみんな知っているからなのではないかと思う。

一方で、細田守監督の『サマーウォーズ』や『竜とそばかすの姫』などはネット世界という他者から逃げられない場を舞台にしており、徹底して恋愛関係も社会や他者に内包される形で描かれている。そういう制作意図があったかどうかは分からないが、”セカイ系”に引導を渡す作品になっていたと思う。

声優さんについては、あれだけ非現実的なチセ役を演じた折笠富美子さんは本当にすごい。チセ自体が先のことを考えられないキャラクターだから、徹底的に場当たり的に演じていたんじゃないかと思う。


GYAOで無料配信され、この作品自体本当に受け付けない作品で途中何度も挫折しそうになったが、なぜこの一世を風靡した作品が受け付けないのか考えることも面白いだろうと思い、頑張って完走した。この記事を書くために完走したと言ってもいい。
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