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ゼム シーズン1のkuuのレビュー・感想・評価

ゼム シーズン1(2021年製作のドラマ)
3.6
『ゼム(Them)』
原題 Them
製作年2021年。
話数 全10話。各話の長さは 33~55分。
1950年代を舞台にした、ノースカロライナからロサンゼルスの白人居住区に引っ越してきた黒人一家を中心にアメリカの恐怖を描く。
一家ののどかな家は、異世界の邪悪な力が一家を嘲弄し、荒廃させ、破壊すると脅すゼロ地点となる。
リトル・マーヴィンが製作し、レナ・ワイテが製作総指揮を務めた。2021年4月9日にPrime Videoでプレミア上映された。
ルビー・リー・エモリー役のシャハディ・ライト・ジョセフはタイトルが代名詞の2度目の役どころ。
彼女が初めてそのような役を演じたのは、同じく黒人作家によるジョーダン・ピールのスリラー『Us』(2019年)のティーン娘役(ゾーラ・ウィルソン/アンブラ)やった。
『 Us』と今作品には、ミニー・リパートンの "Les Fleurs "ちゅう曲も使われている。

1950年、ノースカロライナ州から黒人一家のエモリー家がカリフォルニア州のサウスコンプトンに移住する。
エモリー一家は元より住んでいた白人達に陰惨な差別を受け、追い詰められる日々を過ごす。
しかし、彼らの前に得体の知れない幻影が現れ、幻影に狂わされた彼らは白人の住民にも影響を及ぼす事件に発展する。 

ホラー界の巨匠スティーブン・キングが脚本家兼クリエーターのリトル・マーヴィンのこの番組について、『恐れ入った。 おまけに50年代のドレスを着た非常に不気味な白人女性たちを見たことがないのなら、今がチャンスだ』と語ってる。
個人的にはキングさんに同意見です。

扠、今作品、アマゾン・プライムのえも云われぬホラー作品は、悪夢のようなセピア色のプロローグで幕を開ける。
孤立した家に女性と赤ん坊が2人きりでいると、一見何の変哲もない(いや、夜に出逢ったら怖いかも)老婆が道路を歩いてくる。
老婆は、女性の夫が出て行くのを "私たち "が見かけたと云い、"オールド・ブラック・ジョー "を歌い始める。
🎼Gone are the days when my heart was young and gay,
Gone are my friends from the cotton fields away,
Gone from the earth to a better land I know,
I hear their gentle voices calling Old Black Joe.🎵こんな感じ。(Old Black Joeの歌詞を抜粋)
赤ん坊の声を聞くと、彼女は明るくなり、『この赤ちゃんちょうだい。とてもとても欲しいわ』なんて云う。
これだけでも十分ゾクッとしたし、冷ややかだが、彼女が赤ん坊を要求している女性とされてる女性の人種がことなるという事実が、この出会いに歴史的な恐怖の次元を加えていました。
奴隷制の影、母親から連れ去られた赤ん坊、そして、ある時代にある国で特定の肌の色をしていたことによって引き起こされる、逃れようのない脆弱性(悪意ある超自然的な力にさえ)が即座に頭に浮かんだ。
冒頭のシーンは、今作品の最大の長所を小宇宙で示している。
エモリー一家は、後に『大移動』として知られるようになる、600万世帯のアフリカ系アメリカ人家族のひとつで、南部の農村から、産業雇用とジム・クロウの国よりも良い生活が約束された北部の州へと移り住んだ。
捕捉としては、正確には大北部移住または黒人移住としても知られる大移住は、1910年から1970年にかけて、600万人のアフリカ系アメリカ人が米国南部の田舎から都市部の北東部、中西部、西部へ移住したものです。主な原因は、アフリカ系アメリカ人の経済状況の悪さ、ジム・クロウ法が支持されていた南部の州での人種差別と差別の蔓延であり、継続的なリンチは、特にアフリカ系アメリカ人が社会的猶予を求めていたため、一部の移民を動機づけた。
移民によってもたらされた歴史的変化は、ほとんどの移民が当時の米国最大の都市(ニューヨーク市、シカゴ、デトロイト、ロサンゼルス、フィラデルフィア、クリーブランド、ワシントンD.C.)に移住したことでさらに増幅された。
今作品ではヘンリー(アシュリー・トーマス、ミュージシャンのバッシーとして英国のミュージシャン兼俳優としても知られる)と妻のリヴィア(デボラ・アヨリンデ)は、自分たちと2人の娘、ルビー(シャハディ・ライト・ジョセフ)とグレイシー・リー(メロディ・ハード、アメリカが世界で最も優秀な子役の多い国であることを改めて証明してる)のために、ロサンゼルスのコンプトンに家を買った。
この家の権利証には『黒人の血を引く者』への売却が禁じられているが、不動産屋はもはや拘束力はないと断言する。
隣人たちの意見が食い違うことはすぐに明らかになる。
パステルカラーのツインセットの下では、恐怖と嫌悪で心が満たされる。
そして、閉ざされたドアの向こうで、完璧な前庭に面した芝生に、恐ろしい計画が立てられる。
エモリー夫妻が直面する生身の人種差別主義者たちは、恐怖を与えるには十分すぎる。
白人女性たちは無言で微笑みながら集まり、新しい家族の家の外に椅子とティーテーブルを並べ、それぞれがラジオで異なる放送局を大音量で流し、新参者たちを地獄のような不協和音で取り囲む。
男たちは暗闇に紛れて行動することを好み、リヴィアが家に閉じこもっている間、ヘンリーは職場の白人のホワイトカラーの顔ぶれに立ち向かわなければならず、初日、受付係は彼がアフリカ系のアメリカ人だから厨房に行くに違いないと主張した。
子供たちもまた学校や幼稚園でそれぞれの苦しみに耐える。
トーマスとアヨリンデはホンマ子供とは思えぬ巧みな演技のおかげで、被害者が犠牲になっていることがよくわかる。
容赦なく敵対する世界を切り抜けるために必要な膨大な精神的エネルギー、その結果生じる疲労、絶え間ない心の擦り切れ。
このドラマにホラーとしての弱点があるとすれば、超自然的なものが馬鹿げてるって所かな。 グレイシー・リーの幽霊はお気に入りの本に登場するビクトリア朝の家庭教師で、ヘンリーの幽霊は黒装束を着た幻影だ。
これらは効果的なジャンプの恐怖を与えてはくれるが、今作品のいけず(意地悪)クイーン・ベティ(アリソン・ピル)の無表情な微笑みにはかなわない。
あと、重箱の隅をつつくようですが、今作品は1953年の出来事とされているが、作中、エモリー一家がロサンゼルスをドライブしているとき、1953年以降の車、たとえば1957年型マーキュリーや1958年型オールズモビルが何台も走ってた。
どうせならほぼ完璧にこの時代を描いてるんやし、とことん拘ってほしかったかな。
今作品は、50年代への回帰とアメリカン・ドリームを切望する人々の背中を押して政権についた男の大統領時代に構想され、依頼されたことを忘れてはならない。
もし彼が再び勝利していたら、これを見る恐怖は想像に難くない。
まさに悪夢の目覚めと云えるかな。
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