ジェイコブ

エルピス—希望、あるいは災い—のジェイコブのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

大洋テレビの深夜番組「フライデーボンボン」のディレクター岸本は、番組出演のアイドルに手を出そうとした事をネタにメイク担当のチェリーから脅され、ある事を指示される。それは、番組の担当キャスターで、元大洋テレビの看板アナであった浅川恵那と共に、過去の連続女学生殺害事件の犯人とされた松本死刑囚の無実を証明してほしいというものであった。乗り気ではない二人であったが、事件の真相を追っていくごとに次第に世の中の暗部を知る。やがて深みにハマっていった二人は、事件の背後に大きな力が働いている事を知り……。
関西テレビ制作ドラマ。正直感服したと言わざるを得ない。クオリティ、ストーリー、さらに関西の放送局といえど上波でこのテーマのドラマをやった事の意味、全てがこの作品の価値である。テレビ局がメディアによる報道被害を取り扱うという事は、テレビ局のヒエラルキーでいえば最上層にいる報道局の背中を切ることに等しい。そのため、プロデューサーの佐野氏は本作をTBSでできないことから、この企画と共に関西テレビに転職したという。TBS以外のフジテレビでも同様の対応をしていただろうし、むしろ地上波でできたのが奇跡に近いのである。本来はNetflixやディズニープラスなどでやるような内容だが、それでは一ドラマとして膨大な作品の波に埋もれていったかもしれない。弱い立場の人達の代弁者として真実を世間に伝える筈のメディアが、権力者と蜜月な関係を築き、挙げ句飼いならされてしまっている。恐ろしいのは、これはドラマの中の虚構というわけではなく、現に起きている紛れもない現実だということである。
かつて大学で憲法学の授業があった時、「名張ぶどう酒事件」を題材に、冤罪を取り上げた事があった。その際教授が言っていたのが、「もし国が本気を出せば、皆さん一人の人生そのものを潰すことなんて容易い事なんです。問題は皆さんがその事に気付いているかですよ。だから、皆が憲法を正しく学ぶ必要があるんです。皆さん自身が法律を都合よく解釈する権力者と戦うための最後の砦だからです」その時は何となく聞いていたが、本作を観ている最中何度もその言葉が反芻していた。最終話で恵那が斎藤と対峙した時、この国の司法が機能していない事を指摘した。本作の脚本家渡辺あや氏が書いたNHKドラマの「今ここにある危機と僕の好感度について」の中で、キング牧師の名言「最大の悲劇は悪人の暴挙よりも善人の沈黙である」について触れられていたが、正にこのドラマはそれが如実に現れている。悪が目の前で公然と行われているにも関わらず、警察もマスコミもそれぞれが立場やメンツ、を守りたいがために見て見ぬふりをする。社会全体にそれが蔓延すれば権力者は何もせずとも力を維持できる。DCだったらバットマンやグリーンアローなどのヒーローがいて、人々の為に闘ってくれるが、残念ながら現実は違う。国民一人ひとりがこの国の抱える病魔を理解しなければならない。
一話ではただのハラスメントモンスターに思えた村井Pが、二人の一番の理解者で、彼なしでは二人は調査を続行する事ができなかったのも面白い。村井もああやってやさぐれる前は報道人として権力者と戦っていた。村井Pのような適当ノホホンに生きているかのように見えるオッサンが、実は一番物事がよく見えていて、たまに的を得た事を言うのはよくある話笑。スタジオで暴れた彼の怒りは、上っ面の正義を振りかざすマスコミへの怒りそのもので、元報道人であった彼のその姿を見た恵那が、最終話の行動へと動くきっかけとなった。本作のMVPは村井を演じた岡部たかしだろう。
本作で思い出したのが、明治の頃に起きた大津事件の裁判である。当時来日していたロシアの皇太子ニコライ二世を津田三蔵巡査が斬りつけた事件だが、ロシアに対して忖度した政府から「津田を死刑にしろ」と当時の大審院長児島惟謙に圧力がかかった。しかし児島は「日本の法律から考えて死刑は重すぎる」としてその要求を突っぱねた。怒りをあらわにする権力者に対し、「日本が不平等条約改正を目指し、近代化に向けて動き始めたにも関わらず、権力者の意向で簡単に法律を曲げるなど、司法の独立を踏みにじるような行為が許されるわけがない。そんな事をする国と一体どこが交渉に応じると思う?」と言って、司法権の独立を守ったという。このエピソードから児島は「護法の神様」と称されている。その時から100年以上経った現在、果たして司法権の独立は守られているのか…。