ついに、ついに観終わった。
劇場版、始まっちゃった。間に合ったけど、間に合ってないみたいなことになっちゃったけど、何とか観直せた。もう一度、ここに辿り着けた。
シーズン1は、ワケアリの大学病院から島にやってきた医者コトーが、島は島で過去からの医療、診療所へのわだかまりがある中で、摩擦に次ぐ摩擦、衝突に次ぐ衝突、治療に次ぐ治療を重ね、島の住人たちとの距離を縮め、絆を育む物語。
このシーズン2もそれがベースにはなっているが、そこから年月も経て、島との関係もほどほどになってきたコトーが、今度は島の住人たちと少し深い向き合いになっていく物語。
ちょっとした怪我やケンカではなくて、出てくる症状や病名もかなり深刻なモノも多い。
そして、それに悩む人もコトーとの関係が近苦なった人も多い。
だから、コトーにも再び、医療とは、診療所とは、島の人とは、そして、自分とは、、、と、色々さらに見つめ直し、皆と共に乗り越えようとする。
シーズン1やSPドラマが布石となって、さらに大きな感動を生むエピソードもあれば、全く新たな切り口や、人物もいる。
既存のベースをさらに昇華させて、新しい風も入れる。そして、変わらぬ島の風景と時の流れ。これらがマッチして、とても程よい心地よさが堪らないシリーズの第2章。
新しい風と言えば、柴咲コウ、あやかが本筋から離脱。しかし、大きな波となり後半は違う意味で返って来るのだが、、、。
そこを物理的にも、精神的にも穴を埋めるのが、蒼井優。
あの、チャキチャキの敏腕看護師でコトー先生に厳しくも優しくプライドを持って対等に寄り添うあやかとは全く異なる“ワケあり”新米看護師。
最初は、あやかの離脱と、みなの不甲斐なさで、残念さが漂いまくるが、これはこれで後でちゃんと効いてきて布石となる。
そこまで計算し尽くされてることが逆に恐ろしいほどスキが無い。
個人的には前半の時任三郎の苦労が見るに耐えない焦燥感とやり切れなさに途方に暮れた。
あれだけ気丈に頑固な男が折れてしまうところはなかなか見たくはない。
しかし、そのエピソードもしかり、後半のあやかのエピソードもしかり、何にせよそこに確実に存在し、真っ直ぐに受け止めようとしながら皆と一緒に苦悩しながら前に進もうとするコトーがいる。
堺雅人との数多くのやり取りでそれを露骨に浮き彫りにされながら、矛盾を突かれ、さらに自分の目指すべきものと毎日取り組んでることに葛藤が起きるコトーがいる。
このシーズン2はその複雑なコトーの悩みの本質がより顕になるので、シーズン1よりも重めと言える。
コトーの信念や行為が偽善や自己満だと否定されることも多い。
島の人間はそれで良いじゃないかと言い、その外の人からはそれが医療かと疑いを持たれる。
果たして、自分は何をしてるのか、島の皆に家族と受け入れられてその人たちの診療をすることは正しいことか、身内のように温かい人達に医者と患者として真っ当な治療ができるのか。
そこにかなりフォーカスしてる。
時任三郎が漁師を辞めて島を出たことも、戻ることも、あやかが島から出たことも、色んなエピソードが“コトーの住む内と外”の主観と客観を織り交ぜることで、よりそこを浮き上がらせる。
その苦悩と葛藤、島の人々や外の人との出来事がやりとりを通じて、妥協せずに、逃げずに向き合おうとするコトーの楽しさ、辛さがひしひしと伝わってくる。
医者も万能ではなく、人である。
好き嫌いもあれば、可能不可能もある。
それでも、島はコトーが良いと言うわけで、コトーも島が良いと言うなら、それもまた答えではないのか。
コトーならたとえ治らなくても良いと言われるのは本来は医者の本懐ではないのかも知れないし、自分ならと言う思いを殺して医者と患者のドライな関係を貫くのも人の本懐ではないかも知れない。
「おかえり」があって「ただいま」がある。
コトー不在の折の代打の診療所の先生もなかなかニクい、いや、あざとい、に近い。
このシリーズ、医者としてのコトーの技術とか起点とか、プライドやら信頼やらの話ではなくコトーも医者の前に1人の人間であることと、島の人間もそれをわかってぶつかりあって、ぶつかり合うことが自然な関係なんだなと思えるところがとても良い。
そこで何かひどいことがあっても、失っても、取り戻せなくても。それと同時に何かが生まれてる。
要はそれとどう向き合うか、いや、向き合いたいのか、向き合いたいならいれば良い。やれば良い。
ただそれだけのことがどれだけ難しいけど、尊いことか、それがとても胸に突き刺さる最高のシリーズ。
やっぱりこれは殿堂入りのTVドラマだった。
よし、これで、劇場版、行くぞ。
年末年始、色々忙しいけど、行くぞ。
F:1936
M:2039