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凍てついた愛のkuuのレビュー・感想・評価

凍てついた愛(2019年製作のドラマ)
3.8
『凍てついた愛』
原題:아름다운 세상
製作年2019。
韓国ドラマ
【話数】 
BS朝日再放送やと、全16話。
Amazon primeだと、全22話。
確りした裏付けはありませんが、数話BS朝日で見て、そのあとアマプラで引き続き最終章まで見ましたが、BS朝日の方はカット編集されてるんじゃないかな。

『パラサイト 半地下家族』に出演したチョ・ヨジョンが出演
韓国ドラマ『復活』『魔王』『サメ~愛の黙示録~』と人気なんかな、その作品群でタッグを組んだコンビ脚本:キム・ジウ×監督パク・チャホンの最強コンビ豪華夫人が送る母親二人の身も凍る衝撃の物語。

皆既月食の夜、中学3年生のソンホが、学校の中庭で頭から血を流して倒れた状態で発見される。ソンホの父ムジンと母イナは病院へ駆け付けるが、ソンホは一命を取りとめたものの、昏睡状態となってしまう。
学校も警察も、ソンホが最近成績のことで悩んでいたらしいという生徒の供述から、飛び降り自殺を図ったのだろうという結論を出す。しかし、息子に自殺を図る理由がないと考えるイナは、警察にしっかり捜査してほしいと懇願するが、まともに取り合ってもらえない。それでも息子を信じ、たとえ100年かかろうと自分たちだけでも真相を突き止めることを決意する。

学校暴力(イジメ)、そして学校暴力を隠蔽しようとする卑劣な大人たちとの過酷な過程をその逆境を一緒に勝ち抜き、 お互いの傷と痛みをおさえながら癒しと成長に関する物語。
韓国ドラマにありがちな、単純(失礼ながら)学校、しいては財閥の権力も交えたドロドロ劇、父長制度等々の韓国アルアル(濡れ場はなかった)ながら、ドンピシャで嵌まってしまいました。
今作品を見ていて、特に自死を図ったとされてる生徒の父ムジンの行動は、現代に陳腐に聞こえたり見えたりするが、それは日本人が忘れ行く善き行動なんかなぁと思います。
相手に復讐したいが、ままならない、だけど正義は貫く。
ただ、正義を正しい人の道だとし、人の道が複数の人々によって形成されるコミュニティを維持するものだとすれば、際限なく連鎖する復讐は正義とはいえないかもしれないが、真実を追及する事、追及の過程で、例え自分の身内が怪しいと囁かれたとても、証拠が発見されたとて、身内の言(げん)を信じる力。
たしかに、復讐が許された時代もあったけど、その場合、復讐に対する復讐も当然許される。
復讐を止めようと思えば、相手の一族は一人残らず根絶やしにしなければならない。
一人でも生き残れば、その一人が新たな復讐を始めることになる。
そういう状態ではコミュニティの維持など望めない。
どこかで連鎖を止める必要があり、そのために登場したのが、古い話になりますが、同害報復のタリオの法。
ハムラビ法典の『目には目を』はもっとも有名かもしれへん。
法により復讐が制限され、やがて裁判によって同害と見なせる刑罰が与えられるという形で復讐は国家により代行されるようになる。もっとも刑罰は報復としてではなく、抑止や教育を目的とするものだという考え方もあるので、復讐の代行だと見なすことには異論もあるかとは思います。
法律の介在によって復讐が社会的に機能するということは逆からいえば、法律的なことを別とすれば、復讐は社会的とはいえないということにもなる。
ただ、韓国ドラマアルアルでは権力とゼニの力で隠蔽が行われることもしばしば登場し、今作品も将にそれで、そこに真実の追及に動く先に述べた父ムジンの行動には(一部暴力に走った場面はあったけど)、正義は見える。
連鎖する復讐がコミュニティの混乱を招くのならば、それを正しい人の道=正義と呼ぶことはできないし、それを断ち切るために司法に委ねても、はぁ押っ取り刀でイライラさせられた。
また、復讐云々が複雑になるのは、『復讐をする』ことは意思の介在しない感情的な事実であるにも関わらず、
『復讐をしない』ことは優れて意思の介在する理性的な選択であるからで、その事を、父ムジンはしっかり認識していってる姿に感動したかな。
ある行動が正義に適っているかどうかは、その行動を行うという『選択』を行うことが正義かどうかを問うことで。
しかし、我々は復讐をすることを自らの意思の元『選択』できるのか?
肉親や仲間に危害が加わったときなどに、復讐を行いたいという気持ちが湧き上がってくる。
これは本能的な衝動なんやと思う。
腹が減って飯を食えば目蓋が重くなり、眠る、そして、時にはムラムラと催せば性的行為する(独りにせよ複数にせよ)のと同じ種類の出来事。
少し乱暴ですが、そこには意思による『選択』がない。
だから復讐したい気持ちが湧くこと、それに従って『復讐をする』ことは正義でも悪でもないただの事実と云える。
これはあくまでも本能にあがなえない者で、人には知的な能力もある。
一方で、我々は自らの意思により『復讐を止める』ことを選択できる能力。
復讐を禁止する法律を施工する、復讐の連鎖を止めるため敢えて我慢する。
本能にあがなってストイックに生きる(信条や理念、宗教観によるものがおおいかな)。
これは明らかに人の選択であり、しかも社会全体の利益に則している、つまり、正義に適っていると云えるし、その意味で親父に正義を見たのかもしれません。
復讐は、正義とも悪とも云えない。
しかし、復讐を止めることは正義である。
正義と悪の対象関係になっていないことから、多くの人が複雑に感じてしまう。
しかし、この二つの相関が捉えられれば、比較的シンプルに理解できるはずだし、応用も効く。
それを、例えば、この場合『悪』にあたるのは『復讐を煽ること』なのだなとか。
端で火の粉が飛ばないように、時には『復讐する原因すらなかったもの』とする人たち。
あるいは、正義とは必ずしも悪を倒すことではないし、正義を行わないことが悪でもないという方向に議論を持っていくとか。
いろいろ興味深い話に繋げられるかと思います。
だからこそ、倫理ちゅうモンがあって、法律とか哲学とかもある。
二者択一ではない答えを見つけていくと云うのが、今は近道なのかとそれを模索する父ムジンと、諭される妻と娘、中々できないことやなぁ。
ただ、色々含め、復讐が正義になる時も、法律があまりに欠陥、ポンコツすぎ、社会が間違いなら、状況により正義になる場合もあるとは思うけど。
けれども、それではそれ以外の事が上手くいかないので、復讐以外の正義も妥当性とかも、考えると云うなんかな。
色々考えさせられるドラマでした。
個人的には、メチャクチャ嵌まりました。

今作品より抜粋。

希望を紡ぎだす人になれ
       
この世の全てが眠りにつき
闇の中で夢さえも寝静まった時
一人でも夜に怯えず
星をみて歩む人となれ
希望を紡ぎだす人となれ

冬の夜は長くしんしんと雪が降る
行くあてのない雪の日の夜も
仕事を終えた作業場付近の
ロウソクさえ消えゆく暗い部屋で悲しみを愛する人となれ
希望を紡ぎだす人となれ

絶望のないこの絶望の世界
悲しみのないこの悲しい世界
愛を分かち合えば春の雪が降る
雪に降られながらも待ちわびて
望んでいたものと出逢えたら
喜んで抱きしめ合ってごらん
頬を寄せ合って泣いてごらん

星をみて歩む人となり
希望を紡ぎだす人となり
希望を紡ぎだす人となる
春の雪が降る麦畑を歩くものには
皆駆け寄り
胸一杯の夢を受けとれ
夢を抱け
kuu

kuu