JFQ

First Love 初恋のJFQのネタバレレビュー・内容・結末

First Love 初恋(2022年製作のドラマ)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

いやぁ、よかったなあ。何より日本のドラマが「恋の話」と「社会の話」を同時に描けるようになったのが素直によいことだと思った。

いや、自分は「この手のドラマ」をあまり観ない人間でなので(笑)、もちろん「ズルだ」と思う部分もある。なんせ佐藤健×満島ひかりは魅力的すぎるよ。

だって、ふつうコインランドリーで目を覚ました時、ロスジェネ世代のおっさんがいたら怖いもん(笑)しかも家に入れるなんて、、と言う話であって。それは健君だからでしょうよ、と。

さらには宇多田ヒカルの「神曲」を「カード」に持ってるわけだから。そんなん泣くよ(笑)むしろ、泣かないという事ができないだろうよ(笑)
そのうえ「彼女の記憶喪失」と来るわけで。「魔法のiらんど」かよ、と(世代がバレるわけですが、、)。

それでも(それだからこそ?)、映像の7割くらいは泣いていて(笑)
ただ、それはドラマで描かれる「ラブストーリー」に泣いていた部分もあるけど、それ以上に「この社会」に泣いていた部分も大きくて。どうしてこの社会は満島さんのような魅力的な人をこんなにも不幸にするんだろうと。
ドラマで言えば、どうして、この社会は「 I’m flying(主人公カップルが観た映画の名ゼリフ)」を失い、地を這いながら同じ場所をくるぐる周り続けるしかなくなってしまったのか?と(平成の30年間、賃金もGDPも横ばいの社会)。。

一応ストーリーを追っておくと。ドラマは北海道を舞台に展開する1997年~2023年に及ぶ約20年がかりのラブストーリーで。そこに1999年の宇多田ヒカルのヒット曲「FirstLove」と、2018年のヒット曲「初恋」が挟まってくると。
ドラマでは90年代半ば、朝の電車内で「運命の出会い」をした中学生男子・並木晴道(木戸大聖/佐藤健)が、高校に入り、意中の女子・野口也英(八木莉可子/満島ひかり)と見事カップルになる。そして「うちらは60億分の1の運命的な出会いだ」と盛り上がりつつキラキラとした日々を送ることになる。けれど、その後、男子は「航空自衛隊」に、女子は「CA」を目指し東京の大学に。それぞれ夢を抱きつつの遠距離恋愛となる。だが、「ある事件」があり、女子は記憶喪失に…。で、それをきっかけに2人は離れ離れに。けれど、10数年後、なんと2人は偶然の「再会」を果たす。そのころ、男子は婚約者(夏帆)がいつつもビルの警備員。女子は医者(向井理)と離婚し、我が子(荒木飛羽)とも切り離され、タクシー運転手に…。
もちろん女子側は、男子のことは覚えていない。それでも「再会」に「運命」を感じた男子は、これまで止まっていた「恋の時計の針」を再び回し始める。そして感動のラストが…みたいな筋立になっている。

あらすじにしてしまえば「恋愛ドラマですね」と言う感じだけれど。でも、時系列のつなぎ方や、岩井俊二門下らしい言い回しで伏線を張ってくるので「うまいなあ」と思いながらバーっと観せられてしまう。
いや、ホントは「花火なんて上から見たって横から見たってええやん」と思う方なので、あの手の「言い回し」とか、「ささいなことに重要な意味を見出しちゃうアタシって繊細ですよね感」が苦手なのですが。でも、「うまいなあ」で観てしまいました(笑)

さておき。考えたかったのは、先にも書いたように、この社会がなぜ「 I’m flying」を失ってしまったのか?ということで。別の言い方をすれば、この社会はなぜもの凄く「閉じた」「息苦しい」社会になってしまったのか?ということで。
ドラマに出て来る映画「タイタニック」で言えば、この社会は1997年以降、なぜ「飛ぶ」方ではなく「沈没」する方に舵を切ってしまったのかと。

この問題について、社会の側から「硬い言葉」で語るなら、こういう事なんだろうと思う。それは、この国が「ネットワーク」(グローバル資本主義×インターネット)をうまく受け入れられなかったからだ、と。
だから、米国のGAFAMや、中国のBATTのようなネットを軸にした新産業が作れなかったと。そのため、新産業で富を増やすのではなく、旧産業のコストカット(派遣労働者への置き換え)で「現状維持」を計ろうとしたと。

ドラマで言えば、向井理の家のような「古い富裕層」を温存しつつ、そのネットワークに入れない人は「工場の派遣労働」か「タクシー運転手」か「警備員」か…そうした場所くらいしか残らない社会にしたからだと(それはそれで「ステレオタイプ」かもしれませんが、、)。もしくは、「飛びたい」と思う若者層への支援や投資がなかったためだともいえる。

けれど、その描写以上に重要なのは、その事とドラマが描くような「DeepLove思考」というか「60億分の1の純情な感情思考」というかが、深く結びついている点で(※注1)。
よく考えてみれば、このドラマは「恋愛関係」の深さに対して「友人関係」が薄い。もちろん、也英には、JK時代やJD時代の友人もいるが「記憶喪失」により、その線は細くなってしまう。また、春道にも自衛隊学校当時の友人らがいるはずだが、そこを頼って今の仕事に就いたとかそういう感じでもない。
恋人愛、家族愛という「縦」の関係に比べ、友人・知人関係という「横」のネットワークが薄い。

別の言い方をすれば、家族、恋人に閉じていく「DeepLove思考」=本物。知人関係でつながっていく「横」のネットワーク=「偽物」みたいな感覚があるんだと思う。
で、その事と、この国が「ネットワーク」をうまく受け入れられなかったことが結びついているんじゃないかと。このドラマはそういう事を言ってるのかなと思う。

そして、このことは、ドラマの主な舞台である90年代後半以降盛り上がっていく「愛国志向」とも連結しているのだと思う。ドラマで言えば、晴道が目指していたのは「 I’m flying」のはずだったが、いつしか「イラク派兵に際し大事な家族・国民を守る≒愛国心≒DeepLove」にシフトしていくシーンに象徴される。

おそらく、この「DeepLove思考」は、金さえ払えば何でも交換可能だった「バブリーな80年代」への「反動」なんだろうと思う。前の時代がそうだったからこそ、他では置き換えられない関係や、自分たちだけのルーツに閉じこもって行く事が「新しい価値観」のように思えたんだと思う。
ドラマで言えば「運命」という言葉に象徴されるものなんだろう。

けれど、そのことと、この国が「ネットワーク」をうまく受け入れられなったことがつながって(しまって)いるんではないかと?
もしくは、この国が「ネットワーク」をうまく受け入れられなったからこそ、人々がこういう意識になったのではないか?と。

実際、よくよく考えてみれば。この国に「上級国民ネットワーク」か「心身を削りとる派遣労働」かしかないのなら、いっそ海外にでも行けばいいではないか?もちろん「金の問題」や「語学の問題」はあるが、今が「閉塞」しているのなら、もっとそう考える人たちが増えてもおかしくないんじゃないか?

けれど、実際にはそう考える人はさほど多くなかった。いや重要なのは、考える以前に、その可能性が選択肢にものぼらないようにさせられていたことで。多くの人にとっては、そのことが、脳内にすらよぎらないようになっていた。
その根源が「ネットワーク思考」を拒否した「DeepLove思考」にあるんじゃないかと(ただ、この国でもようやくそれが選択肢に登り始めたと思う。いいか悪いかは別にして。。)

けれど、ドラマは後半に入り「大きく転回」していく。それは若い世代の「ネットワーク志向」を取り入れた事が引き金になる。

あるいは、ドラマで印象的に描かれる「書き言葉(木簡・万年筆)」に導かれたためだと言ってもいいか。「書き文字」を「書いた人(時)とは別の意図」で読んでしまった事で、主人公は思わぬ方向へと導かれたのだった。
つまり、ドラマの言葉で言えば、主人公たちは「運命(反ネットワーク)」のモチーフから離脱し、「偶然(親ネットワーク)」のモチーフへと引き寄せられたのだ、と。

具体的に言えば「ロスジェネタクシー運転手」の満島は、ドラマに出て来る息子や息子の恋人のような、若い世代の「SNSネイティブ≒ネットワーク思考」に触れたことで、「グルグル回るしかない日々」を切断。「ここではないどこか」へと向かう(アルバイトに行くノリでテルアビブに行くようにカナダに向かう)。

あるいは、こういう言い方もできるかもしれない。若き日の満島は、万年筆の書き心地を試すため「並木晴道」の文字を綴った。だが20年後の彼女は、それを(偶然)別の文脈で読み取った。そして、そのことがきっかけとなり「自分が忘れ(させられて)いたのは” I’m flying”だった」と気付かされる。そして「ここではないどこか」へと「flying」する。

一方、佐藤健も、満島or夏帆という「究極の選択」を迫られた末「選ぶなんてできないので、僕はこの国から消えます」と決断。そして「ここではないどこか」へと「飛ん」だ。
これは、「DeepLove」の重力から切り離されたことで「飛ぶ」ことができるようになった、ということなんだろう。

もちろん、ドラマのラストは混乱しているようにみえる。健くんは「どっちも選べません」としながら結局、ひかりんを「選んでる」じゃんと。夏帆ちゃん可哀そうやん、と。

けれど、この関係は「DeepLove(運命の愛)」から離脱した後で結ばれた「別の形の愛」なんだろう。つまり2人は、これまでの世界とは別の世界の住人なんだろうと。だから夏帆ちゃんの話はもういいんだと。で、その形としては「ファーストラブ」なんだと。そう、とらえるべきなんだろう(だから野暮な事を言うんじゃないよ、と、、)。

※注1:90年代後半から2000年代前半にかけ「DeepLove」なる純愛小説が売れたり、「3分の1の純情な感情」なるJPOPが売れたりしたことに由来するのであります。
JFQ

JFQ