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VIVANTのJFQのネタバレレビュー・内容・結末

VIVANT(2023年製作のドラマ)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

二重の意味で「面白く」観た。
まず「二転三転どんでん返しストーリー」として面白く観た。仲間だと思っていた側に敵がいて。敵の中にも敵がいて。そのうえ、味方だと思っていた奴が寝返るし、敵だと思っていた奴も寝返えるしで、二転三転どんでん返しが続いていく、と。

また「有能な(影の)自衛官」と「有能な公安刑事」と「有能なテロリスト」がいることで、先を読んだ手が打たれ…たかと思えば、その先を読んだ手が打たれ…たかと思えば、そのまた先を読んだ手が打たれる展開が続出する。予想したことが気持ちよく裏切られ続けるので観ていて飽きない。そのうえ飯沼愛ちゃんも可愛いしと(笑)

そんなわけで、ドラマで言うところの「大きな渦に巻き込まれ」ながら面白く観た。ネット上の「考察班」たちにとっても大満足だったんじゃないかと思う。

その一方で、ドラマを支える「妄想」についても色々考えさせられ面白かった。

というのも。ネットでも話題の「影の組織”別班”は存在するのか?/否か?」以前に、素朴に考えて「こんな人間は存在するのか?」と。もう、激レア感が半端ない。半沢直樹の比ではない(笑)
つまりは、主人公の乃木憂助(堺雅人)の「特殊性」について思うところが多かった。彼の「松本清張2.0」ばりの数奇な半生もさることながら(さすが「TBS日曜劇場」笑)、この乃木に、人間と(我が)国家の関係の矛盾が凝縮されているように思えたのだった。

この乃木という人間の特殊性を浮かび上がらせるため「家族>国家問題」を考えてみる。

まず、素朴に考えて、人を守るために国が作られる。国を守るために人が作られるのではない。だから「家族を守るために国家はある」と。
けれど「国が守られなければ人々も守られない」となればどうか?「家族を守るために国家を守る」必要が出てくる。

ここでやっかいなことが起きる。というのも「家族を守るために敵を撃つ」のとは微妙に話が変わってくる場合があるからだ。

いや、「敵」が家族を狙っているのなら「家族を守る」ためにそいつを撃つのは理解できる。けれど、「敵」は「うちの家族」は狙っていないが「知らん国民」や「国そのもの」を狙っている場合が出てくる。

それでも「国を守らなければ家族が守られない」ならば「敵」を撃つしかない。となると、現場の人は大変だ。直接「敵」が憎いわけでもないのに撃たねばならないわけだから。ここで1つ大きな「ジャンプ」が必要になる。

それをふまえて乃木という人間をみると、彼は「さらなるジャンプ」を行っている。何しろ、国を守るために「我が父親」を撃っているわけだから。。
少し丁寧に言えば「他の家族達を守るために国を守るために我が家族を撃った」と。ものすごい「ジャンプ」をしている。

こういう人間がいるんだろうか?と。
だが「いない」と考えればドラマは成り立たない。そこで「いる」という事にする。けれど、こういう人間は素朴に考えて「頭のねじが外れている」。

ここで、普通は「頭のねじが外れた奴」が「暴走」しても止められるように「法」がある。警察や司法が、「頭のねじが外れた奴の暴走」を「法」に基づいて処罰する。

けれど、さんざん描かれているように「別班(VIVANT)」は「法」には縛られない。言ってしまえば「やりたい放題」だ。実際、「美しい国を汚す裏切り者」を橋から首吊りにして殺害するなど「テロリスト」まがいのことも平気でやっている。それまで仲のいい「同期の桜」だったにもかかわらず。。

それでも主人公に「暴走」がないとすればなぜか?それは「”いい方”に頭のねじが外れている」からだと(笑)。言ってしまえば「すげえ高潔な人間なんだ」と。

すげえ高潔な人間だから、法律などで縛らなくても、高い倫理観によって「自分で自分を縛る」のだと。だから「暴走」なんて起こらないのだと。

いや、、こういう人間がいるんだろうか?
「いない」と考えればドラマは成り立たない(笑)。そこで「いる」ということにする(笑)。けれど「倫理観」はあっても「思考能力」が低くては困ってしまう。

何が「国益」かを的確に判断できなくては、その行動が「美しい国を守るために」なるかどうかは、危うくなってしまう。「よかれでやったけど損しちゃいました…」なんてことは、世の中ザラにある。

だが、乃木は思考能力も異様に高いのだ。アメリカの大学を主席で卒業してしまうのだから。だから彼の考えることは、ほぼほぼ「国益にかなっている」のだと。

つまりは、人間の生理に反したこともできて、かつ、高潔な倫理観を持ち、かつ、思考能力も高いと。

こういう人間がいるんだろうか…?ほとんど「妄想の産物」ではないだろうか…?

いや、それでも「いない」と考えればドラマは成り立たない。いや、ドラマ以前にこういう人間がいないと「別班」など成り立たない。にもかかわらず「別班」が存在するのだとしたら…?それは一体どういうことを意味するんだろうか?

いや、「だから別班などいない!」ということが言いたいわけではない。「VIVANT的なもの」はどの国にもいる。例えば「公安」。ドラマでは「表の存在」のように描かれていたが、アメリカではCIAがそれに当たり、イギリスではジェームズ・ボンドでおなじみの「MI6」がそれに当たる。

彼らは「法を守っていては国を守れない事態」に対し「法を超える」。その意味では「別班(自衛隊≒軍)」かはさておき「VIVANT的存在」だ。けれど「法を超えたことが正しかったのか?」は後でチェックを受ける。「法を守っていては国を守れない事態」と言うが「本当にそうだったのか?」を後でチェックされる。誰がチェックするのか?国民が選んだ政治家たちだ。つまり(政治家を選んだ)国民がチェックする。その結果、彼らの行動が本当に国益にかなっていたのか、「暴走」だったのかが国民によって判断される(だから、例えばアメリカでは公文書館が充実していて、日本が残してない資料が残っているなんてことがザラにある。チェックをするには文書が大事だという認識があるからだ!)

これが「シビリアンコントロール」というヤツだ。
けれど「わが国でそんなことができるのか?」という問題がある、、、(泣笑)。何しろ公文書だろうが都合が悪ければ「改ざんしました」「なくしました」「シュレッダーにかけました」なのだから、、どうやって「後からチェック」するのか?(笑)

そのうえ、ドラマでも描かれていたが「シビリアンコントロールなんて言うヤツは、どうせ小賢しい小物だろ?」という認識が国民のデフォルトとしてある。それを分かっているから制作陣も橋爪功をああいう感じで描いたんだろう。「どうせ、そんなうるせえことを言う奴は、しょうもねえ奴なんだ」と。自分の地位と保身だけが目的の「肝っ玉の小せえ奴」か、現場を知らねえ「頭でっかちのリベラル」かなんだと。

そんな国でシビリアンコントロールなどありえない。だとしたら、どうか?「祈る」くらいしかないだろう(笑)

つまり、俺らはよう分からんけど、うまいこと国を守ってくれる奴がいるんだと。そいつは、時には冷酷にもなれて、それでいて高潔で、さらに国益を瞬時に判断できるんだと。だって我が国「美しい日本」は、利益利益と前のめりにならず、他人の考えにも寛容で、利益はみんなで分配する、美しい思想を持つ国なのだからと。そういう考えを色濃く持った奴がいるから、俺らがチェックなんてしなくたってうまくいくんだと。

現に、サミットにせよ、東京五輪にせよ、世界的イベントは数多あったのに狙われてねえじゃんか?と。自分で銃を作ったレベルの奴に元首相は撃たれちゃったけど、、そういうのは、まあ「誤差の範囲内」だと(マジで、、?)

というわけで「そういう影の存在」がいてくれるから安泰なんだと。
これが「祈り≒妄想」でなくて何だろうか?と、自分は思う。けれど、こういう「祈り≒妄想」に支えられているのが我が国だし、現に、それを描いて19.6%もの視聴率が取れたのだから、そういうことでいいんだろうと思う。「祈りにすぎない」とか言って批判したところで何になるのか?と。

なんてことを「考察」できる「面白い」ドラマだと思った。
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