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めぐりあう時間たちのericoのレビュー・感想・評価

めぐりあう時間たち(2002年製作の映画)
4.5
1923年のロンドン郊外、1951年のロス、2001年のニューヨーク。時代も場所も異にする3人の女性たちの人生が交錯していく。

「花は私が買ってくるわと、ダロウェイ夫人が言った」の一文とともに始まる、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』。クラリッサ・ダロウェイという主人公と同じ名を持つ、ニューヨークに住む編集者クラリッサは、まさに今朝同じ言葉を口にしていた。昔の恋人で詩人のリッチーの受賞パーティを、今夜催す予定なのだ。所変わって1951年のロスでは、第二子を妊娠中のローラが、ベッドで『ダロウェイ夫人』を読みながら、物憂げな表情を浮かべている。

「幸福」という言葉が、三人の女性たちの人生を滑り落ちていく。ひとから「幸せね」と言われるたびに、彼女たち自身の人生は失われていく。誰も彼女たちの人生を憐れむことなどない。彼女たちは、その時代で望まれるものを、ちゃんと手にしているのだから。作家としての成功、小綺麗な郊外の家と素敵な家族、同性の恋人との生活と自身の子ども。三つの時代はいずれも彼女たち自身の親密な王国である「家」を主な舞台とするが、そこに「社会」の代弁者としての来客が訪れる。

彼女らは、来客に対して何らかの憧憬を抱いている。彼女たちが選び取りたかったそのものであったり、あるいは望んだ人生を生きる人びと。来客を迎え入れる彼女たちは微笑むけれど、同時にどこまでも絶望している。客人たちが手にした自由に、彼女らは決して追いつけない。

私たちは、いつの間にか他者の望みを自分の望みとして生き始めてしまっている。築き上げた幸福は、本当の望みの前に壁として立ちはだかる。絶望と、色濃く漂う死の気配。川の流れの先へ、光射す窓の外へ、この国ではないどこかへ。

体外受精で子どもを授かった、と告げるクラリッサに、ローラは「幸せな女性ね」と言う。誰よりも「幸福」に呪われた女性は、こうして絶望の環をまたひとつ作り出そうというのだろうか。遺される夫に「私たちは誰よりも幸せな夫婦でした」という言葉を贈ったウルフのように。
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