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山猫のericoのレビュー・感想・評価

山猫(1963年製作の映画)
4.8
イタリア統一戦争の時代。
名門貴族のサリーナ公爵は、目をかけていた甥のタンクレディの婚約者として、彼に心を寄せていた自分の娘ではなく、新興勢力者の娘アンジェリカを推挙する。公爵家の没落と、それに対しタンクレディたち新しい世代の台頭が鮮やかに交錯している。
冒頭、不穏な音が鳴り響くなかで公爵家の面々が神に祈りを捧げるシーンでほぼ彼らの運命は予言されるが、このときに風にはためくレースのカーテンがあまりに美しく、ここでまず泣く(早い)。

堕ちゆく我が身を鏡に映すと、その顔には死の影が落ちている。一族の運命と肉体としての衰えとがリンクするが、サリーナ公爵が美しいのは、貴族としての矜持をもって死をも受け入れようとするからなのだろう。それに対して、タンクレディもアンジェリカも絶世の美男美女ではあるのだけれど(アラン・ドロンとクラウディア・カルディナーレだし完璧!)、毎日の宴を楽しみ尽くすだけの彼らが死を思うことは決してない。日なたしかない彼らの景色の美しさは、陰影を含むサリーナ公爵のそれとは全く違うものだ。

時代の移ろいが、その生者と死者とのワルツの円環のなかに表現されるというのもあまりに見事。ちなみにワルツという踊りはもともと庶民のもので、はじめて国際的な場で踊られたのは、1814年のウィーン会議でのことだったらしい。このウィーン会議でイタリア王国は崩壊し、本作の舞台となる両シチリア王国が誕生する。サリーナ公爵はマズルカという提案を断りあえてワルツを踊ろうと言うのだが、そのワルツで両シチリア王国の滅亡を暗示するのもなかなか因果な選択だったのだなぁと思う。

もともとアラン・ドロンの美貌を見に行ったのだけれど、これは完全にバート・ランカスターの勝ちだな。そもそも表そうとした美質が全く違う。しかしアラン・ドロンは本作での自分の扱い(ギャラ)がバートと異なることに不服を申し立て、それを機にヴィスコンティと袂を分かつことになったそうだ。うーん。
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