ジェイコブ

VORTEX ヴォルテックスのジェイコブのネタバレレビュー・内容・結末

VORTEX ヴォルテックス(2021年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

息子と離れ、仲睦まじく暮らす映画評論家の夫と元精神科医の妻の老夫婦。ある日元精神科医の妻が認知症を発症した事をきっかけに、生活が一変する……。
暴力、性、ドラッグと、これまでセンシティブなテーマをタブーなしに描いてきたギャスパー・ノエの最新作。主演を務めるのは、サスペリアなどで知られるイタリアホラー映画の巨匠ダリオ・アルジェント。本作では心臓病の既往歴のある老いた映画評論家だが、血のにじむ思いで書いた原稿を便所に流されたり、目を離した隙にガスをつけて危うく殺されかけたりと、彼が監督したホラー映画もびっくりの展開に、絶句せざるを得なかった。正に老いとは下手なB級ホラーより恐ろしい現実で、また避けられない未来なのだ。また印象的だったのが。住み慣れた家を捨て、老人ホームに入ることは、自身の過去を捨てるようなものだと語る夫の姿。彼自身そうするのが最善だと気づいている。しかし今まで自分と妻が生きてきた証を手放すことは、もはやただ生きているだけの存在と成り下がってしまうことを恐れ、割り切れないのだろう。結果息子からの忠告に耳を貸さず、自身の身体に負担をかけた末に、病に倒れてしまう。……かつて自分が住んでた田舎で、隣の家の老夫婦が正にこれだったから、より胸が締めつけられる思いだった。
ドラッグの危険性を度々映画で取り上げたギャスパー・ノエが本作において、ドラッグを「救い」の位置づけで描いているのが興味深い。夫妻にとっては病気の苦しみから、息子のステファンにとっては、肉親を失った喪失感からそれぞれ解放されるために使用している。
個人的に気になるのは、本作を「胸糞」「最悪」と位置づけて評価している人達がいること。本作は誰の身にも起こりうる将来の現実を描いているにすぎず、特に田舎で暮らしたことのある人ならばご近所にこうした老老介護の家族の姿を目の当たりにする事は珍しくない。そのため誰もが目を背けたくなる現実なのは確かだが、だからと言ってそれを胸糞と言って片付けるのは臭いものに蓋をするに等しく、ギャスパー・ノエが「老い」を真正面から描き、観客に突きつけた本作のテーマに向き合っていないとも感じる。
本作で語られる「人生は夢の中の夢」はエドガー・アラン・ポーからの引用だが、日本の江戸川乱歩もまた夢について「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と興味深いことを言っている。人が現実と思っていることは夢の中の出来事で、夜に見る夢こそが現実と語っており、我々が現実と思っている記憶は朧気で儚く、長い人生の中ではほんの短い間なのかもしれない。そう考えると、本作の冒頭で妻が認知症を患う前に中庭で仲睦まじく乾杯をかわす夫妻の姿は、見終わった後に考えると夢だったようにも思えてくる。
今年、認知症の進行を遅らせる新薬がついに開発されたというニュースが報じられたが、だからと言って老いからは誰もが逃れられるものではない。人間が自分らしくいられる時間というものは想像以上に短く、だからこそ一日一日を大切に生きなければならないと再認識させてくれた傑作。