ナツミ

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのナツミのレビュー・感想・評価

5.0
コメディかと思っていたらとんでもない人間讃歌、強烈な生への肯定だった。突然のベーグルで悟り心臓を鷲掴みされた。最強に勇気付けられる人生のビタミン注射になると思う。以下本当に長々と書きたいことだけ書いておきます。はやくBlu-ray下さい。


日常に忙殺されながらカオスの中を生きているエヴリン。過去には夢を諦め、駆け落ちしたせいで親との確執もあり、子と意思疎通は捗らず、やるせない思いは片隅に押し込めてtodoリストを潰すことに集中する。そんな中、夫は離婚届を用意していて...。
ミッドライフクライシスという言葉が注目されて久しいけれど、まさに「私の人生これで良かったんやろか...」「もっと色々挑戦してたら...」「あの時別の道を選んでいたら...」どんな人生でもきっと、一度はそんな絶望、暗澹とした感情をおぼえることってあるんじゃないかな。
人生は選択の連続で、若い頃は可能性が葉脈のように宇宙中に広がりまくっているのに、分岐点を通るたび選び選び続けてやがて宇宙の果ての一点に辿り着く。それはここから遠い地点にかつてあった自分の可能性との断絶であり、時が戻ることが無い以上、なにかを選ぶことはその他の選択肢を捨てることと同義だ。

一方そんな分岐点を前に立ちすくんでいる娘ジョイ。あらゆる世界をベーグルの上に乗せちゃう★レベルで俯瞰から見下ろしてしまった結果、人生なんて結局虚無じゃないかと、生きていることってなんでもないじゃないかと思う娘ジョイ。若者らしい...人生に向き合い壁にぶつかり、あらゆる選択肢の果て、自分の限界、人生が終わる瞬間を考える。自分は死ぬし、無常でない事など一切あり得ないという事実に気づいてしまった時、私もこんな事を思っていたなと、懐かしい感覚に雷に撃たれたようだった。結局自分はこの人生で、何を成すでもなくただ単に生きて死ぬ、ただそれだけなんだろうと悟る。こんな事に一体何の意味があるのか。意味のない世界の周りを無力と感じながらただ、ただ歩いていかなければならないらしい。そんな虚無感。

この物語は、分岐点の先にいる両親から、分岐点を前に戸惑う子への贈り物だ。
それは人生というそれなりに険しい山道を進むための杖であり、心が折れた時の浮き輪であり、祈る時の蝋燭の灯りである。
クソ意味のない虚無世界でただ無意味に生まれて死ぬだけの我々だが、そこでやりとりする瞬間の優しさ、笑顔、愛の、確かな存在感。絶対的温度。
「この世界には意味のある時間が少なすぎる。だから大切にする。」第3の眼が開いたときエヴリンが見た真実は、少なくはあるものの「意味のある時間」はあるというものだ。指がソーセージになってしまったとしても、私たちはピアノを弾き、大切な人の頬を撫ぜる。敵だと思っていた人間とも分かり合える世界線がある。わずかかもしれない、見落としそうなささやかな時間かもしれない、でも優しさを忘れなければ、この世界には意味がある。そんな希望的観測を、壮大な喩え話の説得力で信じさせてくれた作品だった。ありがとう。本当に何度も反芻しては勇気付けられると思うし、できれば思春期の自分に見せてあげたいです。

「自分のことを戦士だと思ってるだろ。僕だってそうさ。」と夫が言うシーンが、内臓出そうになるほど好きだった。


【2023.04.08追記】

そういえばベーグルが出てきた時、ドーナツの穴は有か無か?議論を思い出した。
ドーナツの輪っか部分は誰が見ても「ある」。一方で穴は「ない」部分だけど突き詰めて考えていくと、どうやら「ある」のかも。
ベーグルに乗せられる部分だけが全てだと思うと虚しくて、穴という存在、ベーグルに乗せられないものを見つめる、それが第3の目だったのかな。

「ない」ように見えて世界を形作っているもの。それが終盤エドモンドが見せた思いがけない強さであり、エヴリン=我々観客が気づいていなかった登場人物の優しさと哀しさであった。
クソ虚無社会で忙殺されていつも自分ばかり頑張っていると思う時、臨戦態勢になる時、落ち着いてベーグルの穴を思う。他人の柔らかい心について、私たちは見る術を持たない、だけどいつだって「ある」のだ。認識するしないに関わらず、いつだって穴がベーグルをベーグルたらしめている。自戒。
ナツミ

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