肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

生きる LIVINGの肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

生きる LIVING(2022年製作の映画)
4.5
英国式様式美に包まれた完璧なまでの"互換"が成せた一期一会、関わった"若い世代"が観測したその"生きるという意味"に真正面から向き合った定年より先に余命が差し迫った男の"生き様"

ただ生きてる(日常を熟してる)だけなら、それは「リビングデッド(ゾンビ)」と同じだ

「洗練」とはこの映画の為にある
おいおいおい、本当に遅れたけども劇場で見逃さなくて良かった!ここまで徹底して"映像"に拘るか!?と衝撃の"意外性"ですよ。予告だけでは伝わりにくい「ザ・1950年代イギリス」の"再現"の"品"が尋常じゃなく備わってます。
画面サイズもこれが『ザ・ホエール』と同じ?4:3スタンダードの狭画面で、個人的には嫌いなんですけどw それが許せる、スムーズに入っていけるだけの"カラー加工"、"ファッション"と息を呑むくらいの"時代感"に溢れています。

実は公開前日に黒澤明監督『生きる』を予習して公開初日に見る気満々の準備を済ませていたんですけど、色んな要素が絡まって観る順候補がどんどん後ろへ流れて…危なくレンタル待ちでいいかな?な気になりかけてたのもまた「人生」ってことでw(いい風にまとめただけ)
そんな時代に生きても、リメイク元映画はモノクロかつ劇場で楽しむような世代では全くないのに、原作映画に"敬意"を感じるくらいの洗練とノスタルジーなんですよね。

そしてなにより言いたいのが、「ライティング」。もうこの光源設計が至るところに目配せさせているのが掴み取れるくらいに、古い時代にありながらひとりの男の終焉を描くはずが、"フレッシュな希望"と"あたたかい幽玄さ"を駆使し、光色も変幻自在でまるで"光源の魔術師"かと思うくらいに印象的に画を彩ります。
そのテクニカルは『エンパイア・オブ・ライト』に望んで、感じたものより色濃く感じました。

『アバウト・タイム』からフランクでユーモアロックな役を熟してきたビル・ナイさんですが、アカデミー賞2023(2022年度)の主演男優賞ノミネート中で見れば、『ザ・ホエール』のブレンダン・フレイザーさんと比べれば、頷けるだけの"差"を感じ、元映画『生きる』の志村喬さんよりも印象が薄い演技力かと思われるかもしれません。
でも、「イギリス版」はこれでいいのだ!と深く頷けるような"味のある演技"だったのも事実。

邦画『生きる』志村喬さんの演技も最高は最高だけど、ちょっと"過剰"さがあり、"シュール"とも感じる部分が黒澤明監督によるカメラワークと画面設計の"クセ"によって中和されているのか見事なまでの"人情モノ"になりました。
今作もオープニング以外ストーリーの流れは"ほぼ同じ"で、主人公はきちんと病気を宣告される形で(邦画、あれはあかんだろw)衝撃に暮れます。
それがビル・ナイさんの演技は"背中で語る"タイプでハッキリと感情を表に出さないけど、静かに静かに"感情の揺れ"と息を吹き返す"生への活力"を画面外へと感じさせる演技を滲ませています。

というか、その"オープニングの違い=邦画版とのメッセージ性の違い"を大きくわかりやすく表現しているんじゃないでしょうか?
"(社会人、市役所)新人視点"で課長&周りの動きを眺める事で、ちゃんと「現代」、"若い世代"に"通ずる"仕事姿勢なんて堅苦しい事は言わず、
何かに"ひたむく"、何かを"形にしようとする"姿勢
をより感じ取りやすくなっているように思われますね。

だから最初に余命を告白する一度切りの物書き、市役所からいずれ転職し、遊びと命尽きるまでの契機となるキーパーソンの若女所員、最後の目撃者となった駐在、そして"第3視点"視点となった新人の"4人の若人"がそれぞれウィリアムズを"見つめる(観測する)"姿が元映画よりも、より印象的に撮られている気がするのです。

その"静かな熱情"を今"生きている"死体の人たちはきちんと自分たちの中で解釈し、素直に書き留めるほどに"受け取った"のか??
そのあっさりと幕を閉じる静けさに、"これでいいのだ"と沁み沁みと感じ入る、収録時間もスマートフォンにした"洗練されたミニマリズム"映画として魅せてくれています。