肉浪費Xアカウント復旧無理ぽ

アインシュタインと原爆の肉浪費Xアカウント復旧無理ぽのレビュー・感想・評価

アインシュタインと原爆(2024年製作の映画)
3.7
"原爆の父"不在のアインシュタインが祖国ドイツ・ナチスに平和が侵されない為に"背中を押した"事による後悔と罪悪
そして「科学者」こそ政治と権力の為に踊らされる"道化"か"被害者"か?
後世に問う司るべき"倫理感"

ヒューマンドラマ感は薄く再現ドラマに徹してはいるものの、半ドラマ半ドキュメンタリーの日本と永劫切り離せない、かの映画の以前であり以後の補完材料

ですよですよ。個人としては『オッペンハイマー』前日に見よう見よう思っていたドキュメンタリー映画を観ておくことができました。
レビュー同日一緒に載せるはずが遅れましたがw
序文は枠は毎回サクッと鑑賞直後に残しているんですが…

順序逆ですが『オッペンハイマー』で意外なほどに幾度も(3,4回)登場し、キーパーソン的な立ち回りする、オッペンハイマーが"原爆の父"ならアインシュタインは原子・物理学を変えた"科学の父"と言えるくらいの"人類の理解"を歩を進めた科学者と言えるのでしょう。
その路線上に「オッペンハイマー」が有り、核兵器があり、投下大量破壊・殺人・被爆を産んだ。その責任は?と問うのは馬鹿らしいことです。
が、アインシュタインのしでかした事は、"その科学を変えた権威"の"発言力"で「核兵器」開発を"即して"しまった。そこにある。その影響力は凄まじいはずと思ってしないながらも、実際の所、その手紙(署名)がどれだけ政府に働きかけたか?はもっと深堀りリサーチしなければ本来わからないものでしょう…
そう、実際問題、唯一の他国による核被爆国であり、直接的な被害・関係がない日本人として、時代が違う人間として、"アインシュタインの責任を追求したいか"と問われると多くの現代人はピンと来ないのが実情だと思います…(否定如何ではなく)

それが祖国ドイツのユダヤ人として、追われる形でまずイギリスへ"亡命滞在"することとなったアインシュタイン。第一次世界大戦の敗戦国ドイツでナチスが覇権を握り"ナチス・ドイツ"として世界を一斉に侵略しはじめた恐怖としてアメリカに身を固める身として"忠言"を発してしまった。
"対ナチスのためだけ"だったのに…
その"けしかけ"が効があったかわからずとも「マンハッタン計画」とオッペンハイマーという"巨獣"を目覚めさせてしまった良心の呵責…

"暴力に対抗するには暴力しかない"
その抗えない真理または観念が"どの国でもいい「戦争兵器」"として用いられてしまう矛盾。
"バタフライ効果"みたいですよね。平和主義者で世界の巨悪(祖国)の対抗策が、日本に壊滅的被害を及ぼした。

『オッペンハイマー』まで鑑賞して思ったのは、これもNetflix配信作(こちらとしては原作の印象が莫大)ですがドラマ『三体』を入れた三作の共通点として

"「科学者」の苦悩・葛藤"

です。『三体』が斬新だったのは中国(人類)に絶望した科学者が宇宙人を招待して"未知との遭遇"を経験してみんなハッピー🤗を目指すお話なんですが、いずれも"「科学者」発"です。
この話を根を深堀れば『フランケンシュタイン』まで及ぶ興味深さを覚えたのですが、そこは置いといて…"科学者(発明者)の責任の所在"論ですよね。

『オッペンハイマー』で印象的だったのが、その当作のレビュー序文枠にも記しているんですが、投下後の"科学者(当事者)と大衆(兵士)の反応の違い"です。
少なくとも科学者たちは直接"莫大量殺人兵器"を"作ってしまった"ことを祝祭ムードの中"実感"してしまった。この後悔だって、その日その時&その後も米国人としてオッペンハイマー含め"実際のところはわからない"部分があるかと思います…
でも、その感性を信じるならば、科学者は人より(一般人)頭がいいから、知能が回るから"理性"も働く、犯してしまったことの大小の分別も通常よりできる人と思ったらいいのだろうか…
でもそんな科学者たちが"善悪の判別"を備えていようが、"強制"力で持って道具として用いるのが"「国」であり政府(強者)"とあるとすれば"創造者"さえも"被害者(道化)"であり"スケープゴート"にされてしまう途方もなさがあります…

そこで最後にアインシュタインが投げかける
「人類の命運は"私たちの「倫理感」の成長にかかっている"」
創造・使用者を超えた"人類の命題"の『倫理感』。そこに明確なアンサーはあるのでしょうか??

と、『オッペンハイマー』があまりにも過去作エンタメと違うストレートなタッチだっただけに、こちらも狙って質素にレビューは"構造的"な事しかレビューしていませんでしたが、こちらは"観念的"な理論を述べてどうもすませんでしたね!🤬(笑)