きざにいちゃん

TAR/ターのきざにいちゃんのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
3.8
観ていて面白い映画ではない。所謂「イヤミス」で好きでもない。が、観終わった後に「作り手はいったい何を伝えたかったんだろう」と考えることが面白いという、トリッキーな映画だ。

大成功をして世界的脚光を浴びる女性(レズビアン)指揮者の栄光と挫折を描く作品だが、女性差別や偏見との闘いを描くフェミニズム作品ではない。
ケイト・ブランシェット演じるリディアの人物造形が恐ろしく複雑で、よくもまあこんな主人公を作ったものだと驚く。どんな人かというとーー
女性成功者であるが、国際女性デーや有名な女性活動家も知らず、フェミニストではない(自覚が無い?)。逆にレズビアンカップルのmale role(男役・父役)であることからか、マチズモ的支配欲が強い。クラシック界の男尊女卑は事実として認めながら、成功者であるがゆえに個人の能力によって克服できるものとして問題意識は低め。自信家で他者への共感能力に欠けた人格障害的な面を持つ(ソシオパス?)。民族音楽への心酔、反ユダヤ感情、人種や性の被差別を甘受する学生に強い反感を持つなど、マイノリティーとしての極めて複雑なコンプレックスを持つ。

ゆえに映画を観ている者は、なかなかリディアに共感して感情移入することはできない。しかし、ケイト・ブランシェットの迫真の熱演に因るところ大きいが、中盤以降、この人から目が離せなくなる。

いろいろ考えた挙句、非常に粗っぽくまとめるとーー
これは「多様性」「権威・権力」「差別と分断」「マジョリティーとマイノリティー」の視点で歪な今の社会、そこに存在する鑑賞者自身をリディアを通して見つめ直させる作品ではなかろうか。

多様性を認め合うことは美しいばかりではない。そこから生じる禍福両方がある。
権力を得る(あるいはマジョリティーに属する)時、本当に人間は平等の精神や良心のようなものを持ち続けられるのか。
社会は平等でできていない。差別は一部の心ない人間がすることであって自分は違う、と本当に言えるのか。
「自分はまともである。リベラルである。気の毒な人達に手を差し伸べる準備はいつもできている」そう思っている自分はその時点で自身の特権と、社会から自らを切り離して見ていることを忘れてしまっているのかもしれない。
そう言えばアナキンも善良だった。ダークサイドに堕ちてダースベイダーになってしまう誘惑は、歪な社会に生きる自分の周りにも常もあるーーふとそんなしょうむないことも脳裡をかすめるw

サイコサスペンスのような気味の悪い謎(スマホのトークアプリをしているのは誰と誰?本の贈り主やメトロノームの悪戯、暴漢はいったい誰の仕業?)や陰謀の主は?そもそもその虚実は?全て明確には示されないのもカタルシスが無いが巧妙と言えば巧妙。

モチーフとしてクラッシック音楽界を選んだ理由は、極めて権威主義的な世界だからとトッド・フィールド監督は言う。しかし、その奥深いディテール描写は音楽映画としても秀逸である。

ラストはリディアの零落なのか、それとも彼女は人生で欠けていたピースを見つけたのか……まだ自分自身、判然としない。