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マイ・ブロークン・マリコのrayconteのレビュー・感想・評価

マイ・ブロークン・マリコ(2022年製作の映画)
5.0
僕にとってのマイ・ブロークン・マリコは、感情の台風だ。
知らない誰かが、その外側にいる人たちのことなど気にも留めない巨大な渦を巻き起こす姿を見ながら、わずかに自分の思い出とも接触するような瞬間が現れては不意に胸がズキズキと痛む。
きっと誰にでもある自分だけの誰かとの記憶をマリコとシイノの姿に重ねては、自分の心にある抜けたままの床の穴を思い出す。
誰にも言えないし言った所で意味のない二足三文の思い出を、宝物であり呪いでもあると知る物語。
僕にとって、この漫画はそんな作品だ。

平庫ワカの描線は、激烈な感情の描き殴りのように荒々しく、それでいてほんの少し触れるだけて崩れそうなほどに繊細だ。
パラノイアみたいに落差の激しい平庫氏の描線は魅力だが、実写映画ではそれを表現する術がない。
だから、映画化に際して大きな期待はしていなかった。
事実、この映画の出来はといえば、かなり平凡なものだった。
美しいカットと美しい俳優たちの演じるマリコの世界はなんだか整いすぎていて、可も不可もなく小綺麗にまとめたコマーシャルフィルムのようだ。
原作にある居心地が悪くなるほどのバッドトリップは大衆向けにクリンナップされ、かといってタナダユキ監督でなければこの映画が作れなかったと言えるほどの作家性も感じない。
原作関係なしに一本の映画としてはひたすらに凡作であり、ある程度能力のあるCM映像作家なら誰でも同程度の出来のフィルムは作れただろう。

視点が客観的で、他人事のように常温で、情緒不安定なシイノとマリコをどこか白けた目で見ている印象すらある。
例えるなら、自分が泥酔している場合と、泥酔している他人を側から見ているくらいの違いがある。
ただ客観的であるがゆえに、そもそもこの物語がいかにグロテスクなものであるかが浮き彫りに見えた。
漫画ではシイノの目に映るものや感じることだけにフォーカスと熱量が割かれているから没入感があるが、映画版のようにいざ第三者視点で見てみると、誰の行動も誰の考えも、どいつもこいつもぶっ壊れてることがより鮮明に見える。
マリコの顔も、表情も、具合が悪くなりそうなほど生々しい。こんなものをいつまでも大事に取っておいたら自分がぶっ壊れると感じるほどに。
図らずもこの映画は、シイノにとって都合のよいマリコの思い出であった原作に対して、より冷静により残酷に事実が鮮明に見えるようになっている。
まるで、躁鬱患者に医者が精神安定剤を与えたみたいに。

真夜中にベッドの中でひたすら妄執と後悔を繰り返すような原作に、この映画は冷めた日常の朝をもたらしたと言えるのかもしれない。
だから、マイ・ブロークン・マリコを読んで煮えたぎった感情の始末をどこにやればいいのかと思っている人ほど、この映画を観るべきだと思う。
そうすればきっと、あなたの中のマリコと決別できるはずだから。
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