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かがみの孤城のrayconteのレビュー・感想・評価

かがみの孤城(2022年製作の映画)
5.0
まず結論から先に書くと、私にこの映画は合わなかった。
それに、自分と同じように感じる人は一定数いそうな作品だ。

ネタバレを避けるが、お互い見ず知らずの子供たちが「かがみの孤城」に迷い込むところから物語はスタートする。
子供たちは家庭環境や学校生活など、それぞれに何らかの問題を抱えて社会から疎外された存在で、孤城の謎を解き明かす過程で個々の問題と向き合っていく。

映像の出来は素晴らしく、演出もいい。特に、引きこもり少女の家での描写は今まであまりなかった生々しい部分をフォーカスし、彼女の苦しみが伝わってきた。
映画としてのクオリティは素晴らしいにも関わらず、それでも「合わなかった」のはつまり「かがみの孤城」という原作に対しての違和感という根本的な話だ。

以下は原作を読んだ上で感じた、自分に「合わない」理由だ。

前述のように物語の子供たちは現実で様々な問題を抱えている。幼い身にして自尊心を削られる経験、トラウマの真っ只中にいるのである。
にも関わらず、彼らはみんな実に素直な人間ばかりだ。人の話はちゃんと聞くし、納得すれば相手を信頼する。
多少の卑屈さや他人への警戒心はありつつも、本能が理性を凌駕してしまうほどの人間不信ではない様子で、現実世界で過酷な仕打ちを受けているのになぜか心のキャパにまだ余裕があるようにすら見える。
そして子供たちは最後にはそれぞれの問題に向き合い、爽やかな終わりを迎える。
まるで「前向きになればどうにかなる」とさえ思える収束であり、彼らが置かれている過酷な状況から鑑みると、まさにおとぎ話としか思えないような生乾きのシャツをそのまま着たような気持ち悪さが残る。

これは「危機感」に対する感覚の違いだと思う。
この原作の著者はおそらく、感情的な比喩としてではない、ソリッドな死や社会からの脱落を知らないのだろう。
要するに育ちがよく、青春期に多少の情緒不安定くらいはあったかもしれないが、お金とか人間関係とか家庭環境とか社会生活とか、根本的に何かがゼロになったり、そのことで絶望して死にそうになったことがないのだ。
自分自身の頑張りでどうにかなる人生を生きてきたから、他人にも平気でそういう道を示せるのだ。
だが、自助努力でどうにかなる人というのは、そもそもが恵まれた環境にいるだけだ。
マインドや努力なんかでどうにかなるなら、いじめも虐待も不登校も引きこもりも自殺も、こんなに社会に溢れているはずがない。
精神を死とか絶望が襲う時、それは脳裏に暗い闇が侵食する曖昧なイメージのようなものなんかじゃなく、強烈なミドルキックがみぞおちにめり込んで呼吸が出来なくなったようなソリッドな苦痛として心身を痛めつける。
自分の意思に関係なく膝が折れる痛みが今日も明日も果てしなく続いていくような日々は、決して内面の変化で脱せるほどぬるい苦境ではない。

だが「かがみの孤城」はそういう物語だ。
雨が降ったら雨宿りをすればいい、槍が降ったら洞窟に身を隠せばいい、そしたらいつかは晴れる。つまり「今はよくなくても、いずれよくなるよ」という語りかけをしている。
いかにも育ちのいい、社会的に恵まれた人が言いそうなことだ。
いじめや虐待を受けている登場人物たちも、最後には笑ってバイバイときた。
ふしぎな世界で少し頼れる仲間に出会えたからって、外側の問題は何ひとつ解決しちゃいないのに、この作品は子供に笑顔で手を振らせるのだ。
確かに、生きる上でこの物語のような綺麗事の幻想が必要な人もいるだろう。それは非難しない。
けど私には、死に至る問題を「おとぎ話」で片付けられる感性がどうにも居心地が悪かった。
「いずれ居場所は見つかるよ」と言うが、もし見つからなかったら?
その先の想像力がこの作品にはないのだ。

とはいえこれはあくまで私の感覚の問題であり、決してこの映画と原作が悪いものだったというわけではない。
私には合わなかったが、見る人によってはとても素晴らしい映画だろう。
感動して涙さえするかもしれない。
観て損はない映画だ。
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