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ダークグラスのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

ダークグラス(2021年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

 相変わらず説得力に欠ける脚本と、これでもかと刺して鮮血を見せつけてくるダリオ・アルジェント、82歳で未だ現役の頃ぐらいの感覚で映画を撮ってのける。そんなにアルジェント作品見てるわけでもないので今作の立ち位置は正直わからないが、盲目の娼婦と中国系の少年という、”マイノリティ”への優しさを感じた気がする。ポリコレ的題材とジャーロって、合わさるんだぜ!(ポリコレだから作品がつまらなくなるという批判はこれにて免れる、しかしそれ以前に脚本の弱さからつまらないと感じる人もいるかもしれないが…笑)。

 音楽はGoblinじゃないけど、如何にもそれ風で、相変わらず良かった。空の一方を見上げるあの光景はある意味不気味かもしれない。それが単に皆既日食だとしても。一方を見つめるというのは、言い換えればスクリーンを見ている我々観客も同じで。ダークグラスをかけると、煌々と光っていた太陽にかぶさる月が見える。これを”目の虹彩のよう”と書いたレビューを目撃し、あれはめっちゃ接写の瞳かもなとも思えた。見てるけど、実は大いなる目によってこちらも見られている。サスペンスとは、まさに製作者がこちらの反応を見ているかのように宙吊りにしておくことであり、それらが凝縮されてると言ってもいいのかもしれない。また、ダークグラスがものの本性を暴いてしまうように、それをかけている当人は盲目だが、すぐに人を信頼する力を持っている。盲目って、かなり騙し騙されみたいな「ダンサー・イン・ザ・ダーク」的悪意に満ちてしまいそうだが、今作は犯人が誰かすぐに見当がつく他、信頼おける人は最後までとことん信頼に値するのであった(「ゼイリブ」または「ゴーグルそれをしろ」?)。と、言い切れるほどにあのダークグラスと盲目は、それこそ盲目を題材にしたサスペンンス「暗くなるまで待って」ほどの効果的使用は認められなかった(見映えはしていたけど)。皆既月食が後半何にも影響が無いのもがっくり。しかし、そうやって「じゃあなぜあのシーンはあるのか」と考えた時、むしろそのシーンの異常性が際立つわけで(「ノープ」の猿を思い出せ!)、映画へのメタ的な言及やらを深読みするのは間違いではない。

 そんなこんなで十分経たないぐらいで一人目が殺される。首から口からびっくりするぐらいの量の血がドバドバ出る。綺麗になった映像で、血糊もリアルになった現代版はかなりドギツい殺人風景になったのではないだろうか。やっぱ刺殺と絞殺が多いなアルジェント。彼の映画において銃の効力なんてほぼ無意味笑。あの見せつける傷口と、のちに主人公のディアナが目を開け、光しか視認できなくなった時の光の筋は、なんとなく共鳴して感じたのは気のせいか。特に光の筋は、スクリーンそのものを割きたいというような気概を感じた。デヴィッド・ボウイがボウイナイフから芸名を得たように、元来芸術家には観客に”切り傷”を与えるようなものを作りたがるように思う。殺さないがしかし確実に守られてたあなたがたの価値観を割くというような(僭越ながら自分も昔そういうタイトルの短編映画を学生の頃作ったりしました…)。スピルバーグは衝突願望で、刺すより”射る”が強かったり(「インディー・ジョーンズ」での鞭に対する銃撃シーンはアドリブ以上に彼の性質なのである)と、芸術家の破壊願望は種類は違うが大方みな似たようなものがあると思う。

召使い「神のご加護を」
ディアナ「こんな女に時間を割いてくれる神はいない」
 娼婦であり、また盲目になったことも神からの天罰だと召使いに愚痴られる。ここには現代的な偏見、職業差別が含まれている。召使いの最後の「神のご加護を」と言って、自分は去っていくという、放任的態度。ほんとに見放しているのは神なのか?人ではないのか?また、アジアの少年というヨーロッパの中でのマイノリティも出てきて、この二人のやっとこさ生きていく姿は見守るしかない。なんか、母の死を黙っててごめんと謝るシーンで、とうとう頼れるのが二人っきりになった時の姿に、ちょっと泣いた。カウリスマキ映画ぐらい奇跡的に良い人たちが出てくるのに、残念ながらアルジェント映画に出てきてしまった彼らはどんどん殺されていくわけで。で、また彼らが成長していくハートフルさにも舵を切れるだろうにただただ理不尽に邁進する絶望感がヤバイ。そんな中、出し抜けに助けてくれるのが犬なのは流石に笑ってしまう部分もあった。しかし、あのタルコフスキーの「ノスタルジア」で焼身自殺をする者を唯一嘆いていたのは人ではなく犬であったことを思い出してほしい。今作の犬はまさに生命倫理側に立った、人間よりも偉い存在なのである。だから「ウンベルト・D」でも、飼い主との自殺を拒否するわけで、圧倒的に生命側なのである。ネレア、良い仕事したよ、絶対にやり過ぎだけど笑。

P.S.
 一緒に見た友人にとっては地雷映画すぎて終始顔を覆っているのを見て、映画とは時に拷問になりうるというのを改めて気づかされた。ここ最近ジュラシック・パークシリーズを立て続けに劇場で見たせいもあって、暴力や過激さこそ「映画」であるぐらいに思ってる節あった、スペクタクル中毒でした。このままだと「タクシードライバー」のトラヴィスなみに映画選びミスってしまうので注意します(あれはシネフィル末期の姿の象徴で、その点でもしかするとスコセッシ自身の大きな投影があったのかもと今更ながら)。

 ちなみに蛇のシーンが個人的にキツかった。
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