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哀れなるものたちのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 ダークファンタジー!昨今、ランティモス、アリ・アスター(今度のランティモス監督作には製作指揮に!)、A24、また「オオカミの家」など何かカルティックな作風がウケ出していい時代だなぁと。今作もまたその中に漏れず、カルトな世界観になってるのではないだろうか。ヴィクトリア朝な時代に、かなり奇怪な造形の建物(と生き物)、そしてエログロも必須要項。夢見るように浸れた。音楽も好きでした。衣装、美術、音楽共に現代の最先端の技巧が総動員された感じで、カルトチックだが実にファッショナブルな作品だった(純カルト愛好家にとっては、ファッショナブル過ぎてやや清潔、泥臭さが物足り無いと思ったりもしたが)。

 冒頭、真っ青なドレスに身を包む女性の背後に、これでもかとカメラがグングン寄る。これ以上寄ると彼女の後頭部に激突するのではと思うほど近づくと、彼女はゆっくりと身投げする。あ、このカメラはつまり、彼女を突き落としたのだとハッとする。彼女はまるで我々という社会の圧に押されて身投げしたようではないか。

 しかし、そこからの編集とカメラワークおよび凝った魚眼レンズなどの多様は、バシッと一枚絵でキメて良さげな所も逃して、割と散漫な様子。飽きさせない努力にしても、もはや不必要に意図無きカメラワークの応酬が続く。しかしそれは見るもの全てが新しい彼女の目眩と同期してると言えるのだろう。というかランティモスの作風で言えば、制限・抑制された画角、ズームしてるのかわからないようなズームが基本形だと思っていたが、まるでそれらの制限を取っ払ったかのように自由自在に撮っている。結果的に決め画不在の冗長さも否めなかったが、主人公ベラに一番同期していたのは監督自身だったのかもしれない。

 見られる対象であった女性が、見る側に回る。そして逆ダンサー・イン・ザ・ダーク。ビョーク演じるセルマが「私は全て見た」といい、最終的に死刑を迎えるならば、今作は死から誕生し、「まだ見てない!」と突き進む物語である。当然、暗い話なわけがないし、この軸一本線なので見易くもある。しかしいまいちカタルシスになれそうだったり盛り上がりそうな所が実にすんなり過ぎ去るのは、我々がやはり全て見てきた側の人間だからか。ベラを作ったゴドウィンよろしく、彼女の感動はやや俯瞰気味で見られる。そのため、初々しい体験の数々に、ああそういえば世界ってこうも感動できるんだよなぁと哀愁のある目で見たりした。また、世界の裏側を知って、その理不尽に嗚咽するところなんかは、「これが悲劇への正しい反応だったはずだ」と、つられて泣きそうになった。ランティモスが封印していたようなリリシズムを存分に感じる。

 現代版女と男のいる舗道。ブニュエル、フェリーニ、ファスビンダーなど数々の影響元が監督からも示唆されるも、結果的に一番似たのはゴダールの「女と男のいる舗道」なのではないだろうか。あちらも純粋無垢な女性(「裁かるるジャンヌ」を見てナナは涙する)が娼婦へと変貌していく話だ。そして両者共に、世の邪悪さに気がつきはしない。自らの搾取される立場を理解できないという悲劇が「女と〜」にはあったが、今作にはそれがない。出会う人間も良い人ばかりだ。純真な人間を餌食にする残酷さをどことなく全て躱す。あの銃を持った大佐自身は悪たれだが、被害を被るほどではなかった。今作のベラは殆ど無傷なのである。その点が今作に足りない奥行きなように思えた。なのでフェミニズム映画にしてはあるべき葛藤がないので、その線で批評すると今作は音を立てて崩れ去るような脆さを持つ。ラストだって、結局元いた庭(オズの魔法使いのような「やっぱり我が家が一番!」という幕切れ感)で迎えるのだから全然解放的ではないだろう。エンドロールも、建物の内壁じゃないですか。これは単に”映え”であろうとした部分と内容とが矛盾してしまってるような気がした。

 嗚呼、男女。女性監督であるメーサーロシュ・マールタの「ナインマンス」なんかを見ると、女性は少女性と母親としての顔で分化しているが、男には出産のような決定的な局面が無いためか少年と大人の自己が未分化なままなように思える(女性に強いられる社会的役割や出産などで分化"せざるを得ない"のだ)。今作のベラが持つ年齢ごとの女性像の変化は素晴らしい。そしてそれは、周囲の男たちの成長の無さを炙り出す。どの男もステレオタイプ的にとどまるとも言えるが、しかしダンカンなんかのあの子供との未分化な大人の不甲斐なさは上手い。唯一父性を持つゴドウィンが去勢されているわけで、男性性は抱えるだけいよいよただ厄介なだけだなと思わされる。

 今作ではランティモスが得意とした謎めいた風な描写があまり無い(ゴドウィンの生い立ちとかゲップは気になるけど笑)。絢爛豪華に全振りしたことで失われたと思えるが、そもそもあのミステリーな感じも実は絢爛豪華と同意義の”外連味”だったのではないかと思えるのだ。以前のミステリーは背後に何か神的な理不尽を感じたが、今作にはいない。それはゴドウィンという人の形をした紛れもない人なのだ。それはランティモスにとっての大きな転換点になるのではないか。もはや神的な何かが無く外連味であったことが判明し、代わりに科学が取って変わったなら(産業革命を経た人類へと遅ればせながら追いついたとするなら)、今後どうなっていくのか。人物動物化も、今までのような違和感を伴わない科学という根拠が備わっている。

 変テコダンスだけは絶対忘れないランティモス笑。でもやっぱりそこが良かった、ぎこちない生の蠢きとして、今作にバチっとハマってるし、なんならこの踊りを撮るために今作があったんじゃないかという気さえする。
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