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窓辺にてのOtoのレビュー・感想・評価

窓辺にて(2022年製作の映画)
3.9
公開初日の監督舞台挨拶にて。「妻に浮気をされたのに怒りを覚えなかった小説家の男」の物語というあらすじを聞いて、ジャニーズ主演×小説家の主人公×不倫にまつわる理解しがたい悩み、という共通点から『永い言い訳』のような作品を想像していて、それを上映前に監督にもお伝えしたら「脚本を書いていて、設定が似ているなと自分でも思ったけど、着地は違うのでお楽しみに」と言われたんだけどその通りで、想像とは全く違う今までに観たことのない作品だった。

(以下、内容について詳しく触れるので、ぜひ観賞後に。)


【個人的で贅沢な作品】
今泉作品の中でもすごく異質な気がしていて、ジョーダンピールで言う『NOPE』のような、独自の道を突き進み続けた人気監督だからこそ撮れる「すごく個人的で贅沢な映画」という印象。それは稲垣吾郎というスターが中心にいることにも起因しているけど、万人には理解しがたい複雑な感情を、あえてわかりやすく提示せずに、丁寧に長尺で描いているからというのも大きい。

そもそも、主人公が自分の悩みを言語化して他人に伝えるのが、感覚的には後半に差し掛かるあたり(カワナベとのシーン)だったと思うけど、悩みが明確に提示されないのに人と言葉の魅力で楽しませてしまうのが監督の手腕だなと思う。映画ってわかりやすい悩みが提示されることが多いけど、ぼくらが日常で抱える悩みってもっと曖昧で複雑で言語化できないものだったりする。「作品のモデルに会いたい」という動機に変換されてるのが上手い。

特殊な悩みなのですごく理解できるというわけではないけれど、どこか自分も抱えたことのある感情が描かれていて、「感情が乏しい」「これが好きということなのかわからない」「正直すぎて嘘がつけない」とか全部自分にも当てはまっている。天邪鬼だしなかなか素直に自分の感情を表現する人間ではないので、誰しも「みんなには見せない自分」がいて、「誰にも話せない悩み」があるんだなって思った。

パートナーの浮気や別れに対するリアクションも様々で、全くショックを受けなかったことにショックを受ける茂巳のような人もいれば、ゆきの(志田未来)のようにそれを知った上で夫に言えない気持ちはすごくわかるし、一見恋愛に対して達観したようにも見える留亜ですらも不安になった彼氏から別れを告げられた時にはこんなに取り乱しちゃうんだって笑った。というか安心した。

【ファンタジー作品なのか?】
終盤に「ファンタジー」「フィクション」という自己言及的なセリフがあるけれど、特に作品の前半はかなり自分もそういう印象を受けた。小説家と元小説家の関係性を描いているので、セリフが普段の今泉映画よりも「浮世離れ」しているような感覚もあったし、シーンもどこか空想の中のような感じがした(マスカットとかパフェとか)。監督作だと『退屈な日々にさようならを』に印象が近いような気がするけど、あちらもブランコのシーンがあった。設定は『こっぴどい猫』と近い。

ただそれはおそらく自分の経験の乏しさも理由なのかなと、終盤の水木(倉悠貴)のまっすぐさを見ていて思った。年齢的には彼の方が近いし、自分の中にもまだまだ若さがあって、今泉さんも2011年くらいに思いついてからずっと温めていたということを言っていたけど、10~20年後に観たらまた大きく印象が変わる映画なんだろうなと思う。

実際、夫婦が長回しで対峙する会話を聞いていると、お互いが抱えていた悩みがすごくリアルで切実なものであることがわかって、(身内で浮気が起きたときにも同様のことを思ったけど)必ずしも浮気をした妻側が一方的に悪いということでもないということも感じた。具体の台詞は伏せるけど、「誰かの役に立ててるのかな?」に対する決定的だけどさりげない一言とかすごく刺さった。すごくサスペンスフルなワンカット。

アセクシャルやアロマンティックに近い人って悩みがわかりやすいから題材になりやすいけど、そういう人と暮らすパートナーの葛藤ってあまり描かれづらくて、そこが新鮮に感じた。「カサンドラ症候群」とかも少し近いと思うけど、愛されている実感があるかないかということで人の自信って大きく変わる。

名刺を差し出されて「マウントとるなよ」って言っちゃうのもめっちゃ面白かったんだけど、たしかに社会人1年目のときに感じてた「なんだ?この名刺交換という、無駄と見栄しかない風習は…」って気持ちって、いまはすっかり慣れて無くなってしまっていたなと気付かされた。留亜とのシーンは劇場全体の笑いも多くて、本音言っちゃう人の面白さってあるな。


【創作についての物語】
好きということにまつわる悩みの話であると同時に、創作にまつわる悩みの話でもあるなぁと感じる。これは浮気を題材とした『永い言い訳』『ドライブマイカー』『窓辺にて』のどれにも共通することで、西川美和さんが「自分の内側にある、人に言いたくない感情とか悪い癖も、書き手にとってはお宝なんです」って言ってたのを実感するし、『ラ・フランス』にあった「悩みは贅沢だ」っていう言葉も少し似たものを感じた。

茂巳は書かなくなった人(満足してしまった人)、荒川は書き続けてるし売れてるのに叶わない人、紗衣は自分の活動が他人のマイナスになっているんじゃないかと悩んでいる人、留亜は(つかめなかったけど)創作で自分自身を晒せていない人…かな。悩みが多種多様なのも面白くて、自分の創作に関する悩みは茂巳に一番近いんだけれど、荒川が「紗衣さんは書いて欲しかったんだと思います」に対して自ら書くことで辿り着いたとあるアンサーがすごく発見に満ちていた。

茂巳は「手放し切れていない人」(小説家を半分降りた人)で、それが紗衣との関係性だけでなく、「ライター」という職業や、2万円を受け取ってしまう性格にも現れているけど、自分がこの立場に近いので、この視点で見るとすごく切実で面白かった。答えの出ない問題や悩みについて描くのが創作だと思うけれど、それを形にして残すということは、ある種「決着をつける」ということで、それをやるのは本当に覚悟がいるし辛い。

ただ茂巳の転換になるのが、テレビの仕事や恋愛を「完全に手放した人」であるカワナベとの対話であり、彼の「自分の悩みを相談しないのは、他人を見下しているから」「無駄を大事にね」という台詞はすごく刺さった。自分にもその節があるし、だから作れないときがある。

カワナベとの出会いを産んだのが留亜だったけど、この関係性には黒澤明の『生きる』に近いものを感じた。悩みに目を瞑ってゾンビのようになってしまった中年男性と、創作が必要な若い女性との交流。
しきりに茂巳を「面白い」と言う留亜があの取材だけでどこにそんなに惹かれているのか不思議だったんだけど、彼の程よい距離感に惹かれたのと、同じ書き手として「書けるのに書いてない人」という空気を感じ取ったのかもしれないと思った。咄嗟に聞かれて正直に作品の良さだけでなく欠点を答えられるのはよっぽどちゃんと読んだ人だと思う。

「理解されないほうがいい」も創作に関する台詞で、期待されることが嫌になった(自分のために書いていた)のかなと思ったし、カワナベも反省の時間が取れなくて仕事をやめてたけど、余裕とか無駄があるかって作家にとってすごく大事なんだろうな。放っておいてくれるパートナーの重要さ。

受け手の素直さって残酷だなというのも感じて、「僕には必要のない小説だった」にショックを受けていた紗衣だって、「誰かを救ってると思う」と荒川に伝えていた。はなっからマスを掴みに行こうとした創作の弱さというか、N=1の心を動かす作品の尊さを改めて感じた。いろんな事情は常にあるけど、自分にとって切実で、自分にとって面白くて、というものから逃げたくないですね…。


【刹那的なセリフとモチーフ】
普段の作品にも増してセリフが面白いな〜と感じたけど、言葉によって実際に主人公の行動が実際に変わっているからかもしれない。「パフェはパーフェクトじゃない」とか考えたことなかったし、「時間とお金を同時に失えるパチンコはいちばんの贅沢だ」を聞いて自分も少し行ってみたくなったけど、コピーライティングのように人を動かす言葉に溢れていた。

パフェ、パチンコ、ラブホテル、光の指輪…。どれも刹那的で、「手放す」ことの象徴のように機能している。マスカットのカット尻もハプニングだったらしいけど、俳優の素が映らないようにしつつも、コントロールできないものを作品に取り入れたり、制作にもそんな姿勢があるなと感じた。長回しのシーンでも台本にないセリフがいくつかアドリブで入っているらしい。

『街の上で』も変わっていく街を舞台にした、映画のシーンから削除されてしまった男の物語だったけど、そういう多くの人が見逃してしまいそうな大切な日常の面白さを描いているのかもしれないし、だからこそ多くの人が自分ごと化して楽しめる。今回もpropagandaが登場したけど、カフェや公園だってすごく流動的で刹那的な場所だから面白いんだろうな。大森の珈琲亭ルアンと、新宿のcoto cafeも行ってみたいし、妻の母の写真を撮り続けるような人でいたいと思った。

観ている間は、今までの今泉映画よりも観づらさを感じて、終わった後も素直に面白いよと勧めづらい作品だなと思ったけど、だからこそ自分の心が少しだけ軽くなって一歩先に進めるような感覚があったし、また繰り返し観たい作品だなぁと感じた。

memo
・そっちの方がお似合いじゃん、でも恋愛関係にはならないという二人。お互いに好きな人がいるから成立する『ONCE』のような。
・終盤の若葉くんの車のシーン、茂巳から宿のチケット譲ってもらったのか...全然気づかなかった。不倫関係は続くんだろうなとは思ったけれど、3組のカップルがどれも対照的な結末で面白い。
・茂巳が書かなくなったのは、『STANDARDS』が傑作だったということが大きいみたい。もちろん妻がいなかったらどうかはわからないけど、創作ということに関して一度分析してみたいなと思う。
・食事のシーンでいただきますや乾杯などのバツバツを描かず話してるところから始める。みんなが当たり前に描いてる部分を省略して、観客が想像する時間を作る。
・トランプのシーン、『アパートの鍵貸します』を思い出したんだけど、参考にしてるんだろうか。好きな作品なんだけど、巻き込まれていく男が主人公出しユーモアが少し似ているような気がする。
Oto

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