るるびっち

メトロポリスのるるびっちのレビュー・感想・評価

メトロポリス(2001年製作の映画)
3.2
フリッツ・ラングのメトロポリスを下敷きにした街の景色。
手塚の原作自体がそうなのだろう。
ロボットのキャラは、原作では雌雄両体だった。男にも女にも変形できるのだ。
手塚的シスコン感は残っているが、それでも女性キャラに限定したことで、古い原作の方が本作よりむしろ現代的だろう。

本作は手塚作品というより、脚本担当の大友克洋の世界観である。
大友作品の主役は、人物ではなく背景だろう。
『童夢』の団地。『AKIRA』のネオ東京。
それらが本当の主役で、人物は点描に過ぎない。
人物はそれぞれのコミュニティに所属していて、どんな環境に生きているかという背景が含まれている存在だ。
本作もメトロポリスという未来都市は階層の分かれた階級社会で、上階にいる支配層と地下にひしめく貧困層、その中のレジスタンスと差別されるロボット達という分断された背景込みのキャラクターを描いている。

だから主人公のケンイチとティマが、あまり目立たない。
主人公のドラマが希薄なのだ。
ロックに追われて地下に逃げる。 二人の地下での触れ合いが、あまり濃く描かれていない。ここでの二人の友情や愛情ドラマが薄いので 、後半にあまり活きてこない。
ケンイチに至っては、ティマと引き離されてからクライマックスまで出てこない。
ケンイチ不在の間、探偵ヒゲオヤジが色々探ってメトロポリスの秘密を解く。しかしそれは、本来主人公がすべきことであろう。
ナウシカが腐海の底で秘密に気付いたように、冒険の中で主人公は世界の秘密に気付くべきなのだ。
そうでなければ、世界とどう対峙するのかを主人公は選択できない。
そもそも苦境に立たされた時こそが、主人公の人間性が試される格好の見せ場なのだ。そこを描かないのは、設定と展開だけで人間性は軽んじていると暴露しているようなものだ。

それはティマも同じで、彼女が反乱を起こすのが唐突に感じる。
ティマが地下世界で人間やロボットとどう関わったのか、それが彼女の性格・考え(プログラム)にどう影響を与えたのか。
そこがあって、初めてその後の行動に感動があるのだ。
そうでなければ、彼女は唯の起動スイッチの役割しかない。

映画で描くには、三つのグループが最適だと思う。
ABCのグループなら、AとBが敵対してCがどちらにつくかでドラマチックに展開できる。
CがAについたところで、実はABは裏で繋がっていたとひっくり返すことも出来る。
グループが多いと、その紹介だけで映画の三分の一が消費されて、肝心の主人公のドラマが希薄になってしまうのだ。
本作はレッド公側、大統領側、レジスタンス側、ロボット達、ロックが率いる親衛隊と、グループが多すぎる。
その紹介だけで前半が終わっている印象だ。大友にとっては背景込みでそれらを点描することが作家性なのかも知れないが、手塚から最も遠い描き方ではないか?
もっと人間に寄り添ったドラマが手塚らしさだろう。
大友の作品であって、僕の作品ではないと天国(もしくは無間地獄)に居る手塚は思っているだろう。
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