普通というマジョリティの心理。
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ある秘密を抱えながら、デパートの販売員として働く夏月(#新垣結衣)、その同級生で最近地元に帰ってき佳道(#磯村勇斗)、不登校の息子の未来を不安視する啓喜(#稲垣吾郎)、大学に通いながら生きづらさを感じる八重子(#東野絢香)、その同級生でダンサーの大也(#佐藤寛太)。
それぞれの生き方があることをきっかけに交錯する。
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今まで色んな趣味趣向の人が登場する作品があったけど、その中でも今作は、群を抜いて特異的な作品だった。
普通とは何か。健常者、異性愛者、恋人や家族がいる人なんかがその大半を占めている。
みんな何かのグループに属している。
学校、社会、家族、友人、知り合い、仲間。
自分の居場所があって、この地球上で当たり前に暮らしている。それが普通。
ただ、その普通が普通ではない人もいる。
その人にとってはこの惑星での生活はとてつもなく苦しく、生きづらく、なぜこんな風に生きているのか問い続けるような生活になっている。
自分が何者かを話そうとすると息ができなくなったことはありますか。夏月が問いかけた台詞は、おそらく、考えたことない人にとっては、突飛な質問になると思う。
ただその質問は、誰よりも夏月が日頃考えていることで、当たり前の感覚。
生まれてからずっとこの地球に留学に来ているような感覚。
それを誰かと分かち合えた経験など、ただの一度も無かった。そんなことができたならば、私はここに居ていい、生きてていいって思えるだろう。
孤独や分かり合えない感性と向き合い続ける人生に何の意味があるのだろう。死を選びたくなる気持ちもわかるほどだ…
そんな繊細な表現を見事に再現していた。
きっと、存在してはいけない感情などきっとない。という台詞も、もっともだと思う。それが、犯罪に繋がるのは別の問題だけど、性的趣向を咎める権利が人にあるのだろうか。
多様性というだけでは収まらない、性的マイノリティの閉塞感を存分に感じる映画だった。
とにかく磯村勇斗&新垣結衣ペアがめちゃくちゃ好き。2人とも可愛すぎる。
この作品には、愛があった。
普通がベストなわけではない。普通が生きやすいのは事実だけど、それが幸せなのかは当人が決めることだ。
誰かの意思で捻じ曲げるようなことは、絶対にあってはならない。絶対に。